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クールではない - 最近何をしたか 8/4-8/14

ポータルのニュース

最近スマホでもタブレットでもブラウザのポータルを見ることが多い、PCはそうでもないがスマホやタブレットなどでBingやBraveのブラウザを起動すれば目に入るからというのもある。そしてテレビを見ないので時事の話に触れたいという欲求もあるのだろう。だが特にBingなどは芸能ネタが多く、私の求めている時事というには精度が低い。芸能記事が人気記事なのでそうなるのだろうが、見出しだけでは知らない人ばかり出てきて何が書いてあるのかも分からないことも多い。そういったものを邪魔に感じてしまう。本来は私が異質ということなのだろうが、利用しているとどうしてもそう感じてしまうのだ。カスタマイズすることもできるのかもしれないが、基本的にあまりいじるのは好きじゃないのでそのままにしている。だが、これ機にカスタマイズできるのならしてみようと思う。

そういえば、人に話していて思ったのだが、最近はそこまで感じないにしても、少し前まではワークマンの記事がとても多いと感じていた。今でもある程度の記事はあるが、一時はなぜそんなにワークマンを取り上げる必要があるのかと思ってしまうくらい、毎日のようにポータルの上位にワークマンの記事が踊っていた。それも人々が求めるものだからだろうか。私にとってはSEOのごとく操作されたものと感じた。それは悪いことではないし、実際関心が高いのだろう。だが私にとっては不必要に多いという印象だった。しかもワークマンの記事は私には逆効果で、近くにワークマンがあるので行くこともあるが、アイテム数の数に対して量が少なく、サイズもないということで、記事に欲しいものがあったとしても結局は自分が欲しいものやサイズに出会えない。何軒も回るのも面倒だしね。

クールではない

そんなこともありつつBraveのポータルを見ていたらGQのファッションの記事を見つけた。GQ誌といえば書店で見かけることもあるし、最近は見ないがたまに手に取ることもあった。ファッションや車の記事を眺める程度だが、ファッションはハイブランドだし、車も高級車と私とは違う世界のものである。ただ特にBraveのポータルにはGQの記事が載ることが多く、気に入る記事があれば見ている。今回最初に見た記事はあまり興味のないファッションの話だったが、そのリンク先にあった他の記事に目が留まった。それは"スキニージーンズが再び“クール”になる日は来る?"というタイトルで、その名の通り現在は低迷しているスキニーが復権できるかという記事だった。そうか、スキニーはクールではないのか。と、そのときはじめて知った。

だが私も流行は感じてないが分かることもある。それは服を買う選択肢の中で、もちろん店舗で吟味するとしても、一応オンラインファッション通販サイトを見たりするからだ。店舗で物色している場合、よく行くショップでは自分の気に入ったテリトリーを中心に見て回るということにもなる。視野が狭いと思いたくはないが、狭まっているような気もするのだ。そこでオンラインファッション通販サイトを見る。さまざまなアイテムを発見できる価値はあるが、手に取ることはできない。だがメンズのトップページを見たり、今回の場合、ただパンツと検索すれば分かる。出てくるのはほとんどルーズなワイドパンツばかりだ。パッと見て思うのは、ガチョウパンツやバギーパンツはもちろんだが、イージーパンツやカーゴパンツ、デニムもワイドばかり出てくる。サルエルパンツもそうだ。

ただのオンラインファッション通販サイトだが、そういうのを目の当たりにすると流行しているのかな、とは思う。だが私の場合、スキニーがクールでないという発想までには至らなかった。穿いている人を見て、クールじゃないなと思うこともないし、好みでいえばワイドなパンツよりも細身の方に親近感を感じているからだ。漠然とではあるが、日本人にはそういうパンツの方が似合っているような気もするというのもある。もちろん個性なのでどっちでもいいといえばそうだが、どちらかが現在クールで、どちらかはそうではないという思考はなかった。

流行と自分自身

記事によるとスキニーの復権の兆しというのは一部のセレブが着用したり、私の知らないような、出会うことのないような大手ブランドも、スキニーとまでとはいわないまでもデニムのシルエットを細くしたという。それをもって復権というのも変だとも思うが、業界でそいう流れがあるのかもしれない。だが私のような人はどうしているのだろうか。流行があるから好みが変わってしまうのか。それが流行というもので、隣の芝生は青いというような感覚に陥るのか。または根本的にファッションの流行は人と同じでないと違和感があるという心理なのか、例えばそれは日本人風にいうと、人と同じではないと空気を読めてないということだろうか。そして私は私で変わることは難しい。柔軟になって好みを選ばず楽しめ、それが視野の広がりや自分の広がりにつながればいいとも思う、しかし現在はそうではない。

一般的に人にどう見られるかは大切だ。髪の毛から逸脱している私がいうのも変だと思うが、身なりを見てさまざまなことを判断する人もいる。ファッションがどうだの髪形や髪の色ががどうだの、男、女のくせにとかそういうのも含めてだ。私はそれはどうかと思うが、現実に多かれ少なかれそれはある。もちろん清潔感というより、実際に清潔にしているのは重要な事柄だと思うし、それにある程度以上常識から逸脱していないという必要はあるだろう。その常識の線引きも難しいが、私の思いは衛生的にちゃんとしていればいいのではないかということだ。あとは裸で歩くなど考えれば法律に従うことだろう。

記事の結論としてはどっちにしろスキニーは復活するというものだった。しかしそこに注文というか一つの警告がついていた、それはスキニーは着心地が悪いので復権させたくないという人もいるようだということ。私は逆だ。スキニーに着心地が悪いと感じたことはない。スキニーではなくタイトなジーンズでもそうだ。例えば26インチの多少のローライズジーンズだと、身長が171cmと高くない私でも足や腿の細さよりも腰骨が窮屈だ。しかしそれくらいのもので一度穿けばどうでもいい。逆に感じるのはワイドパンツは歩くときなど軽快ではなく、全体的にもったりとした感覚で、歩くたびに布がもたついてしまう感覚があるのだ。

それもこれも好みだと思う。私が好みでないだけで、人を見ていてワイドパンツできれいな感じにまとまっていて、とても似合っていると感じる人もいるし、スキニーを穿いていて細身すぎて気の毒だなとさえ思うこともある。私にもう少し視野が広く自分に合うワイドパンツを見つけられる気づきがあればいいのだが、歩くことを考えるとデザインの好みも含めてやはり二の足を踏んでしまう。だが思うのは、流行に左右されて楽しいのもあるのかもしれないが、今流行していないからクールではないというのは違うと思うのだ。


パラフィン

意味のないことをくり返し羅列する悪癖、頭の中の空間がパラフィンと鳴く、頭の中の空間がパラフィンと鳴く、頭の中の空間がパラフィンと鳴く、こんな感じだ。なんらかの栄養素が足りていないのか、繰り返していた最中に思いついた物事を瞬時に忘れてしまう。老化の限度をはるかに超えているような尋常なる衰え、忘れることによって失った物事を神格化し、まるで宇宙の真理のごとく答えが見つかっていたはずなのにと止まってしまう。実際にそれは、失い続けているすべて。可能性ではなく現実だ。


愛でる

レトロだろうがリバイバルだろうがどうでもいい。実機があるからではなく、あってもメンテナンスをしないと動かないし意味がないという話でもない。ただMiniという存在を、どうにかして中身も過去と同様に近づける、再現しようとする、そしてそれ以上の機能をも持たせたいという欲求。それらのこころの美。こういうところで日本人がどうの、と言うつもりもないが、考えてみれば昔から現在のいわゆるガチャガチャまで見てみれば分かるはず。私たちは基本的にMiniが好きなんだ。ミニチュアの美しさ。それを愛でるこころ。


トリガー

夢のような場所というのものが存在するのならば、私の場合は頭の中かもしれない。個々人が出会える最高のものはその瞬間、それまでの努力や労力、難易度や困難を乗り越えた感覚のすべて、その高揚。それは記憶や思考の中に存在するものや、まったく存在しなかったもの、それらは頭の中から何かを呼び、感動や高揚がわき上がる。夢のような感覚はどういうものだろうか。分子生物学の範疇かもしれないが、何らかのトリガーが引き起こす麻薬的物質の分泌、ただそれだけかもしれない。



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