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医療費負担 - 最近何をしたか 4/30-5/10

医療費負担

七十五歳以上の保険料の負担が増えるようだ、しかし私の思う三割負担ではなく二割負担になるらしく少し複雑だ。私は三割に上げるのが現実的だと思っている。それは単に高齢者も負担をしろというだけではなく、現在の医療の歪みを考えると必然の一つだと思うからだ。私の母親もかなり高齢者だが病院は行きたがらない、普段の通り生活したいのだ、そして普段通りに死にたい。しかし現在もこれからも病気の私が病院に行くと元気なお年寄りであふれていたりする。私の行く病院はビルが何棟もあるような大病院とは言わないが、小さな町医者でもなくある程度の大きい病院だ、そこでないと検査できない機器があったり、私の病気の医者がいなかったりする。そこにいるお年寄りの中には深刻そうな人もいるが、そうでないような人も多い。ただ病院に行くためだけに行っているという人はあまりいないようには見える、だが町医者のような病院では暇つぶしついで程度のお年寄りも多く、リハビリ等もそういう人であふれているようだ。しかしそれは医療を受ける側だけの問題ではなく、医療を行う側、病院の問題でもある。一割負担といえども病院には全額支払われているわけで、それは保険料や公費から出ている。そのようなものに無駄があるとするならば減らさないといけないのではないか、それは最低でも一律三割にすべきとだと思う。その平等は現在では必要だと思うし、セーフティネットの問題はまた別にしないとやってゆけなくなる。

確かに午前中から病院の近くを通れば駐車場の出入口はいつも車であふれていて、なんでこんなに病院が繁盛しているのだろうと不思議に思う。そういう少病院は何箇所もある。このような状況で、すぐ先の未来に医療従事者が足りず人手不足だと煽られてはいるが、そもそも病院自体が多いのではないだろうか。病院に行く必要がない人を受け入れたいのは病院側で、それは単なる病院経営で生活している人の問題だろう。そこに無駄な公金が流れているのなら変えてゆく必要がある。その最低のラインが三割負担だと思う。去年の改正で現在でも三割負担している人はいるというだろうが、その割合は少ない。しかも自分に置き換えてみれば現時点で病状が悪い状態で、万が一後期高齢者まで生き延びたとしても三割負担なら医療は受けられず野垂れ死にだろう。それは自分がバカで備えができていない証明なので仕方のないことだ。私も普段通り生活をし、普段通り死にたいがそれもできそうにない。それでも三割負担を求めたいのは制度が歪んでいて無駄だからだ。医療が必要ない人間に過剰な医療を施したり、老人の社交の場というのは医療ではない。そしてその公金の使われ方に非常に迷惑している人もいる。

もちろん医療の歪みというとそれだけではなく、私自身の体験でもリフィル処方が認められた現在でも対応してくれない病院側の事情、これも診察料につながる問題であるし、他にも薬漬けを思わせるほどの様々な薬の大量の処方などもあるのかと思う。また、負担のことを考えると、例えば救急車を有料化するのもいいだろう。私は病気なので救急車に乗ったこともある。しかしとても嫌だった。動けないから仕方なかっただけで、動ければ自分で行っていた。わざわざ近所に病気を宣伝するようなけたたましいサイレンとランプで迎えに来てほしいとは思わない。しかし緊急性の高い救急医療を受けるには救急車を呼ぶ必要があるとか、民間救急というものもあるが救急車とは救急性が違うというので区別されている。なのにも関わらず本当に救急ではない場合にも救急車の出動が多くなっているようだ。だから救急車を有料にするとか、救急車すべてを然るべき民間救急にアウトソーシングすればよいのではないだろうか。多少思いつくことを書いたが、歪みの問題となるものはもっとあると思っていて、それらをすべて是正するのは理想だが、それが直ぐにできるわけでもない。しかし一歩ずつでも進んでゆくしかない。

世界最大の病院数の日本でコロなんとかの無駄を何年も続けたように、マスクが現在も続いているように、情で動く社会でその情の上に成り立っているのが無駄な病院だろう。ルールは情だ、というのはまずい。それに病院だって淘汰されるべきだと思う、それでも歪みを見過ごし続けたいのであれば、国民のほとんどが野垂れ死にへの道を進むように見えてしまう。


もどかしさ

本当は水と油もエマルジョン。誰もが垣根を持っていて、誰もがそれをもどかしく思う。思わない人もいるかもね、でもそれは垣根と感じていないから、垣根を認識すればそれは、とてももどかしいものじゃないのかな。飛べるのに飛び立てず、走れるのに歩いている。別にそれは構わない。だけどそれをもどかしく感じることもあるだろうね。


回りくどい

様々な疑問はいつも体を駆け抜ける、そして脳にも巡る。だがそれは人それぞれという言葉ばかりの回答で、それは分かっているさ、人それぞれのいいもの、崇高なる行いや対象、を誘導したり伝道したり、違う人を排除したり騙したり暴力で誇示する人たちもいる。大体においては、人それぞれ、で話を終わらせる人たちもおかしいが、それすらも理解できず人の個人的なところを侵害し、どうかしようとしてくる、そういうのはダメだ。


その口

穴というと最近でもあちこちに開いているようだ、そういえばこの前子供が溝に落ち、足をすりむいて唇を少し切ったそうだ。その溝はどこへつながっていたのだろう。目の前の部屋に入ればすぐに突き当り、でも終わりじゃなかった。部屋は上下につながる空間で、そうだ、この世にはあれこれ開いている、穴、溝、部屋。その口に飲み込まれてもどこかにつながっている、時には閉じてる場合もあるけどね。



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