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検索エンジン再考 - 最近何をしたか 5/9-5/19

検索エンジン

最近検索エンジンを変えたいなと思っている。現在では検索エンジン自体をネットのポータルとして当たり前のように使っていて、Googleが登場してからはGoogleに頼っている。そして今、長い間使ったGoogleからそろそろ離れないといけないな、と思い始めた。

DEC
遠い過去の話だが最初は検索エンジンにAltaVistaを使っていた。自分的にそれしかなかった時代で、それはYahooなどのディレクトリ型の検索エンジンでは誰かのブックマークを見るようで好きではなかったから。だからディレクトリ型に登録されているものへのアクセス、という目的がはっきりしている場合以外は使わなかった。そしてロボット型だと自由度が高く色々なものにヒットする。しかもAltaVistaは優秀だった。当時PDP-11やVAX等のミニコンで有名だったDECという会社のAlphaという新しいRISCアーキテクチャのチップがあって、そのサーバーを使った検索エンジンだった。AlphaアーキテクチャやAlphaチップは雑誌SUPER ASCIIとかによく出ていたし、当時Windows NTもサポートしていた。マザーボードとかも売られていてWibdows NTというOSもあるので、気持ちだけはいつか組んでみたいマシンだねと友達と話したりしていた。そういう時代の新しいロボット型検索エンジンだった。

gooからGoogleへ
そうしていると日本のNTTからgooという新しいロボット型検索エンジンが出ると雑誌ASCIIで知る。そしてそれ以降はgooを使って検索するようになった。goo検索エンジンは日本語を解析して日本語対応の日本の会社だったし。しかし同時にAltaVistaも使っていた。そうこうしているとGoogleというすごいロボット型検索エンジンが出るという。しかも独自の技術を使って検索の質を大きく上げているということだった。これも雑誌で知ったのかな。インターネットもまだダイヤルアップでプロバイダーも少なく雑誌が強い九十年代だった。今思うとこのGoogleの独自技術、ページランクや検索の最適化は今の、やっと今の離れなければならない現実の土台だったような気もする。その理由だが、Gooleの検閲だ。時勢柄コロなんとかを検索することが多いが、コロなんとかに関するWebページに特定の"Googleが考える誤った情報"が含まれていると検索結果に一切表示されない。こういうコントロールはおかしいと思う。しかし今のところGoogleが考えを変えることもないだろうし、そうすると検索エンジンを変えるしかない。

次へ
そこで候補を考えてみた。候補はBingとDuckDuckGoあたりかなと思っている。BingはXbox 360の頃から美しい写真に目を見張っていて、PCブラウザでも同様の綺麗な写真のトップページだ。ポータルとしても見栄えは悪くなく使い勝手も悪くない。しかし今のところ検索結果の一覧表示にもう一つだと思うことがある。これは慣れかなとも思っている。またDuckDuckGoは前と違って随分とポップなトップページになっていた。プライバシー保護がウリなのは変わりなく検索結果画面もBingより更にシンプルだ。検索以外のポータル的な要素もなく検索だけに絞るのならこちらの方がいいかもしれない。

そして…
現在のところ、BingかDuckDuckGoかということを決めているわけではない。どちらも使ってみて、しかもどちらとも共存できるような気もしている。Bingは検索とポータル的なサービスで、DuckDuckGoは検索に特化してというように。Chromiumブラウザの拡張等で検索エンジンを選べるようにすれば簡単にできる気もする。だがタブで常時開いている検索エンジンは決めたい。しかもそれは二つあってもいい。単に問題はタブの場所だ。順番ともいう。私はタブのヘビーユーザーなのでそういうものも重要だ。この検索エンジンを変えることによって日常が変わるわけではないが、何かは変わると思っている。


強い風と幸せへと

風が強く吹いた時に実はサンバを思い浮かべた。激しいサンバのリズム。だがそれは時が経つにつれボサノヴァへと変わっていった。なぜだろう。その風の強弱。激しくもあり優しくもある。強風ではあったが穏やかでもあった。もう寒い時期でもなかったし時事のラジオを聞きながら歩いていた。でもとてもボサノヴァが聞きたくなりすぐに切り替えた。書いたような曲ばかりではなかったけど気持ちのいい日。そういう日を過ごせるのは幸せなことだ。足りないことはあるけれど、それはその機会でね。


言葉が出てくるのは

よかろうが少しくらい悪かろうがそれらを含めて人間だ。そういう当たり前の事実を皆知っているだろうが、この時勢忘れている人もいる。過剰にいい人でありたい人、気づかず過剰にいい人。私は全くの悪い人なのでそういう善意には踏みつぶされそうになる。必要以上に回りを見渡す必要はない。必要以上に人に善を説かなくてもいい。いい言葉なんて言う必要はない。ただ単に誰かとのコミュニケーションで出てくる言葉があればそれだけでいい。それは個性でそういう物を感じるドラマ。そういう物語に出会えて幸せだと思った。


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