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今野雄二、文化を運ぶ人 - 最近何をしたか 4/3-4/13

今野雄二、文化を運ぶ人

私が子供の頃は何もなく、何もないから何でもあった。実家はカラーテレビだったが家具調のぐるぐる回すチャンネル式で、世の中には少しは白黒テレビも残っていたし、中学生の頃には14インチの白黒テレビを自分の部屋用にと使っていたこともある。11PMとか見たりしてた。そうだった、11PMを見ていた。中学生の頃にエロ目的でみていたのだが、今思うとそれほどエロでもなく、エロティックな映画のトレイラーや解説があったりとか、ヌードの女性がグラビアのように出るとかだった。しかし私に衝撃を与えたのはエロではなく大人の文化で、先ほどの映画の紹介を初めとして、アート、音楽や怪しいサブカルだ。司会は大橋巨泉さん、藤本義一さん、愛川欽也さんで、それぞれのコーナーや特色があって大人の世界を知ることになる。一方である程度の社会派番組ともいえた。また、上記の怪しいサブカルは超能力やUFOは日本テレビの特番でもあったように人気だったが、その頃はもう怪しいサブカルには興味がなかった。私の関心というか、特に憶えているのは上記の三人の司会者ではなく、それ以外の出演者の今野雄二さんだ。

今野雄二さんは海外の音楽や映画、アートをいち早く紹介するという役割を持って登場していて、サブ的な解説者というような役目でよく出ていた。音楽、映画、アートを紹介していて、一部そのおかげで今の私があるともいえる。欧州やアメリカを中心とした海外の大人が見る様々な嗜好の映画、海外で有名なアーティストの音楽、アートに出会う最初となった。アートや音楽は比較的手に届く位置に様々な選択肢はあったが、それでもそこにあるものとは違う新しいものを運んでくれた。音楽ならラジオもあった、しかしアートとなると新しいものに触れる機会、環境になかった。禁止されてたわけではないが、家にあったが触ることのなかった父親所有の多数の古い重厚な画集は新しいものではなく、それ以外はNHKの番組を見るくらいの私からすると、とてもまぶしい新世界。それに本では分からない舞台芸術や今のインスタレーションのようなものも映像で見ることができた。音楽でも注目のアーティスト、当時は総じて外タレと呼んでいたが、そういう人も出てきたりしていて興奮した。一部、例えば私が音楽だけではなくヴィジュアルでデヴィッド・ボウイを認識できたのは今野さんの紹介だと思う。そして最大の恩恵は映画かもしれない。現在でもそれほど映画を見る質ではないが、その当時はスターウォーズだの、いわゆるハリウッドの前評判の高い有名作品とかしか見ていなかった。だがそこには大人の映画の垂れ流しがあり、出演者の雑談も含めとても刺激だった。それらのコーナーは定期的にあって、もちろん今野さんの解説もあったのでとても興味深く見ていた。上記のエロティックな映画を含め、登場人物の心情やその世界観、映像の表現に大人の世界を感じた。

今野さんは落ち着いてスッキリした語り口でとても好印象だった。あの素敵でスマートな語り口、永眠され今も思うのは、もう一度、いや、ずっと体験していたかったということ。だから、その紹介された文化だけではなく、彼自身の姿、振る舞いがずっと記憶に残っているのだと思う。何もなかった時代、それが何でもある時代への過渡期、そういう世界があった。それを運んできてくれた一人に今野雄二さんがいて、今も私の中では燦然と輝いている。


音にリズムに

曲を書ければいいのだけれど、努力をすればいいのだけれど、ギター片手にピアノの前でスマホを持ってそうしたい。言葉だけでは伝えきれないこの感覚。詞を音に乗せたいな。朗読だって音はある。それを知っている。お経だって歌のようなものさ。だから境界線も曖昧か。いや、もっと音にリズムに乗せて表現したい。


そのときを感じる

病気だから歩くわけじゃない、ダイエットだから歩いてるわけじゃない、交通手段がないから歩いてるわけでもない。いや、そうだった。病気だから歩いてる、今はむしろ太りたいがダイエットしてた時にも歩いてた。交通手段は脚だけだったな。でもそれもある、あったけどそれをも越えて歩きたい。歩くのが好きなんだ。季節や街の風景、生き物や人々の営みを感じながら歩く。そのモチベーションのひとつに活動量計もあるんだ。


同じことの繰り返し

砂まみれのその場所は熱くて暑い。目的地はないのに脚は進んでゆく。繰り返し交互に動かせて。たどり着けないのは感じていた。実際には雷ではないが衝撃波には打たれ、愕然としすべてを失ってしまう。無力感、徒労の極み。身から出た錆と血と息。ああ息をしている。これでもまだ生きているのか。そうだな、消えればいいのに。


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