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045_世界市民という怖さ

先日、仕事で教育学関係のセミナーのビデオを観ました。仕事で、ですよ。なぜに念押ししたかというと、私はそんな事には興味がない人間なのです。まったくの門外漢です。

それは良いとして、複数いた講師の中で矢鱈と国家の統制による教育を否定する先生がいて、ちょっとげんなりしました。何言っているのか分からないし共鳴できない… 馬耳東風とはこの事ですが(馬ですか私)、本当に理解できないんです。
理解できないから説明できないので、読者の方はさらに解らないと思いますが本当に分からないんです。私の理解力のなさは自分でも呆れますが、分からないくせにげんなりしているのは訳があります。

その先生、国家というものが嫌いらしく、「教育を国家権力から解放する」という感じで国家権力という言葉が頻出するのです。ははは、これでは出来の悪い邦画にありがちな「この犯罪の裏には国家権力の陰謀がある…」というネタバレですよ。テレビシリーズの劇場版に多いかな。

そこに持ってきて「世界市民」と来たから、顔が「ムンクの叫び」になりました。

グローバル化の時代、目指すは世界市民? それは結構ですけどね。
先進的な人、作家だか文化人の国家や国境批判はご自由に。それを飛び越えて世界市民と来れば「私は違いますよ」と返します。私は日本人です。他に何の肩書もありません。学歴もキャリアも、語るほどのものではありませんし。

人類それぞれ言葉や文化、壁はありますが批判しようとは思いません。同質ではないし同等でもない。でも尊重も配慮もできますよ。大人ですからね。国境や国籍は忌まわしいものではありません。節度だと考えています。だから勝手に越えて相手の陣地に踏み込んで同質を強要しようとは思いません。場所によっては銃殺されまっせ。

とにかく国家を悪者にして世界を是とする発想には抵抗があります。古い人間だからでしょうか。その先生の方がずっと年上ですけど。

そのセミナーにもう一人ヤバい先生が出ていたな。ボストンかぶれ。アメリカの東海岸のアカデミズムにかぶれた爺さん… 日本の教育界は大丈夫でしょうか。

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