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掌編

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#短編

実験室 / 掌編

実験室 / 掌編

 既に女はそこにいた。男がいつ来たのかと聞くと、ややあってから目も上げず六時頃だと言う。それから今までざっと三時間、女は次々にリトマス試験紙を細く筒状に丸めている。傍らには完成した山と役目を終えた山があった。男は女に訊いた。
「何度目だ?」
「次が五回目です」
「度で訊いたのだから、度で答えたまえ」
「次が五度目です」
「よろしい」
 女は手を止め、顔に逡巡の色を湛えている。
「この状況で『次が五

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鼠のようなもの / 掌編

鼠のようなもの / 掌編

 季節は夏が終わり、秋に差しかかった頃だったので、急な激しい夕立に降り籠められたのには妙な気がした。ちょっと用向きがあったので、億劫に思いながらも立ち上がった。玄関の軒下で蝙蝠傘の縛りを解くと、畳まれていた襞がぱらぱらとこぼれたが、その間から毛玉のようなものが落下した。靴の横で仰向けに転がっている。それは片手で覆ってしまえるほどの小動物だった。胴を覆う毛の色は灰を被った黄色をしていて、しかし四肢に

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垣根 / 掌編

 粉を溶いたような薄水色に、やや暗がりを含んだ雲がいくらか浮かんでいる。大ぶりのうしろに小ぶりものがふたつ、親に付いて行く子かはぐれた子か、呑気そうに流れている。冷たさが混じりはじめた風が私を背中から吹き越して、道端にあるイヌマキと思しき生垣をガサガサと鳴らした。するとその垣根の奥から老人がふと現れた。黄色の強い皮膚をしていて、痩せていて、足元も覚束ず、肌寒くなろうこの季節というのに老人らしい鷹揚

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