田舎の少年の話② ギターを始めた話
写真は中学3年生文化祭GIG。卒アルより。
ハイスタのDear my friendとゴイステのBABY BABYをコピーした。
最後に渾身のメロコアジャンプをかましてファーストGIGは幕を下ろした。
人生史上最大のデカ箱である体育館で、何百人ものオーディエンスの前で演奏したファーストギグ。
進行役の実行委員に「いや〜、すごいジャンプでしたね。ありがとうございます。みなさん拍手👏」
の一言で僕らの青春は終わり、高校受験に向けての本格的な勉強期間がスタートした。
悠々と自分のしょうもないエピソードを投稿し続けているが、一体何処の誰が有名人でもない永遠のモブキャラと名高い僕の半生を知りたいと思うのか。いや誰も思わない(反語)
※モブキャラとはゲームとかに出てくる名前もつけられていない群集のこと。セリフすらプログラミングされていなく、殺される時も同じ声優の声で叫ぶだけの雑魚。mobstarはギャングスタ的な意味みたいですが。
この年齢になってくると分かってくることが多々ある。あるいは認めざる負えない事象にも沢山遭遇する。
自分が特別ではないこと。何かになれるという期待を少しは持ちつつも、どこかで折り合いを付けないとこのままとんでもない腐り気味の中年になってしまう。
ベルターズオリジナルを人からもらう資格はもはやない。自分のお金で買わなくてはならない。
noteという媒体において日記を書くという行為に疑問を抱き始めてきた。noteとは作品?、もう少しライフハックポテンシャルのあるというか、有益な内容を投稿するべきではないかということ。心の迷いが生じている。
とは言いつつも、読んでくれている人も居るし、自分の記憶の整理にも繋がるので、めげずに続けていこうと思う。
◼️この前の続き
もうどこまで書いたかすら記憶の彼方にあるが、多分中学生になり、メロコアやパンク、ハードロックの洗礼を受け、気がついたら大好きになっていたぐらいの話で終わっていたと思う。
時間のある人はこれを読んでください。
そう、その辺ぐらいに中の良い高校生の先輩から、ハワイなんちゃらっていうヤバイのがいると聞いてそれは聞くしかない!という気持ちになっていた。
週末の楽しみであるレンタル屋さんに行き、これかな〜、Hで始まるし、数字もついてるしって。
でもなんかジャケ写からして少しだけ違和感を感じていた。
帰宅して音源を聞いてみる.........
ん?日本語?ブルーハーツみたい!あれ?
次の週たまたまバスの中でその先輩にもう一度バンド名を聞くと
「HAWAIIAN6よ、まじかっけえから。あとNOBってバンドもマジでかっこいいよ」って。
近いけど違った。自分がレンタルしたのはHAWAIIAN6ではなかった。
そう、HIGHWAY61(ハイウェイろくじゅういち)だったのだ。
もちろんHIGHWAY61もかっこよかったです。
その後HAWAIIAN6のSOULSをレンタルし、一曲目の出だしのダッダッダッダッダからのオクターヴリフの疾走感に完全にやられた。
なぜかこの曲だけ明るいという理由でFlowerもめちゃくちゃ好きだった。
NOBはレンタル屋で見つけられなかったので、携帯の着うたフル掲示板からダウンロードした。歌い方が似ているけどなんか優しさを感じた。
2年後、事故でメンバーが亡くなってNOBは活動休止になったというニュースを耳にする。
インディーズバンド、テレビではCDTVのチャート50位以下の1秒も満たない映像でたまに出てくるか出てこないかのバンド達。
しかし沢山イケてるバンドがいて、ぶっ飛んでて、輝いていて。
それを知っている俺はCDTVのチャート10位以上の大衆向け音楽しか知らない他のクラスメートとは一線を画している。
僕はMall Boyzじゃないけど、空高く上空にFlyしていて、そこからみんなを見下ろしているのような心持ちでいた。
厨二病はこの辺からスタートした。
そうそう、ギターを始めた話するの忘れていました。
ギターに関してはもともと父親のアコースティックギターが家にあり、たまに弦を交換しているのも見ていた。
さらに母親は僕に「あんた指が無駄に長いんだから、ピアノやギターでもやりなさいよ」と勧めてもくれていた。
母親は僕を育てる中で、何も取り柄がないことを察したのか知らないが、小さい頃から水泳を習わせたり、習字教室にも通わせてくれた。
母親なりにこのままではこの子は何も取り柄のないまま大人になってしまうと思ったようだ。
水泳教室のおかげで運動神経が限りなくゼロに近い僕でも、学校の水泳の授業の時だけは大活躍できた。
この時だけは、自分の人生は間違って無かったと子供ながらに思っていた。
知ってる?自分の高校の頃のアダ名、
ZERO
運動神経がゼロのZERO!読み方もゼロ!
名付け親の友達はカタカナでゼロだと可哀想だからZEROにしてやってんだよ。まだマシだろ?
と慰めてくれた。耳で聴く分は同じである。
本当にやめて欲しかった笑
はいまた脱線、話戻します。
ある日のこと、僕は隣のクラスのある女性に夢中になっていた。恥ずかしいぐらい。クラスも違ってあんまり話す機会もなく、遠目から見るだけだ。
その子を思いながら聞く青春パンクは格別だった。思うじゃないな、想うだな。
峯田和伸は僕の様な童貞たちのために曲を書いてくれいると、本気で思っていた。
ある日たまたま廊下にいると僕の友達(自分に最初にハイスタとかを教えてくれた先輩の弟)とその子が話していた。
友達は運動もできて確かギターも弾け、顔もカッコいいしパーフェクトなモテ男であった。
ああ、いいなあ羨ましいなと思いながら聞き耳を立てていると(もちろん自分は輪の中にすら入っていない)、その子が友達に
「今度ギター弾いて聞かせてよ!ねえ〜!」
はい、この一言、以上。
帰宅するや否やあつよし(父親)のアコースティックギターを手に持つ。
まあやり方わからないから何もできないよね……
あつよし(父親)にギターを教えてくださいとお願いすると、慣れた手つきで何か弾き始めた。鼻歌も歌い出す。何かは分からないが、あつよし(父親)はギターを”弾いていた”のだ。
久々にギターを弾きすっかり気分が良くなったあつよし(父親)は、何も教えてくれずにそのままギターを片付け、寝床に着いた。
その後教則本を買ってもらい、コードを覚えていく。
◼️Fコード攻略法
最初は順調だった。
挫折?何それ?て感じで教則本も進んでいく。
数日後、大きな壁にぶち当たった。
Fコードである。
Fコードの事前練習として、”人差し指で全ての弦を押さえてみよう♪”
と書いてあった。とりあえず本に写真の様にやってみるが全然無理。
全部の音が綺麗に鳴らない。
何日それをやっても綺麗に音が鳴らず、苛立ちだけが増幅し、結局挫折した。
ギターに触ることもなく、そこから数ヶ月が経った。
中学2年になり、他の友達もギターを始めたりするようになる。
ある友達は、弾き語りもできる様になったと僕に教えてくれた。
そいつが家のパソコンでコピーしたコード付の歌詞を僕にくれた。
それめちゃ簡単だからやりなよ!まあFがあるけど笑
175Rの「手紙」だった。
自分より後から始めたのにもう曲が弾けるのかと打ち負かされた僕は、何故か闘争心が芽生え、再度ギターを練習することにした。
しかしFが弾けない、同じところで止まっている。
そこで僕は今考えてもとんでもない狂った行動に出る。
人差し指で全部の弦が抑えられない→指が細いから→指を太くするのは不可能→あ、指先の皮膚がそう言えば弦を触りすぎて固くなって少しだけまめみたいになっている→固くなれば押さえやすくなる!?→これだ!
そう、人差し指の側面も硬化して指先みたいになれば、すべての弦を押さえれる様になるのではないか?と。
その日からお風呂の時間、何しててと思う?眉毛とか剃るカミソリで、水分でふやけた指を少しずつ削るのである。
傷つけない様に、少しずつ。
もちろん何回も流血する。しかしFコードの為にはこれをするしかないと思っていた僕はへこたれずに繰り返す。
ボロボロの人差し指、しかし確かに傷や切削を経て皮が厚くなってきていた。
超回復!筋トレと同じだ!とこの方法を信じていた。
切削を始めて一ヶ月が経とうとした頃、僕はついに人差し指だけで全ての弦を押さえることに成功した。ブチかました。
Fコードも押さえることができ、ようやく、175Rの「手紙」を弾くことができたのである。
この曲が僕の人生初のコピー曲になった。と言いたいところではあるが、そうはならなかった。
人差し指切削トレーニング期間中のことである。僕はバレーコード(人差し指で全弦抑える系のコードの総称)を一切使わない曲に出会う。
MONGOL800の「Happy Birthday」である。
そう、1stアルバムのボーナストラックのライブVerでお馴染みのあの曲。
こんにちは〜モンゴル800です。いきますう〜。デデデデデー×8(謎のライブ版イントロ)で始まるあの曲。30分ぐらいで覚えた。
そんな感じ。
エレキギターを買うのはもう数ヶ月後の話
ちなみに今僕、カナダでウクレレを買おうかスケートボードを買うかでめちゃ悩んでいます。
それではまた。
ギターを始める前は僕はパーカッションを担当していた
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