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職場でも教え方は大切

 今日のリトさんの記事を読んで思ったことを書こうと思います。

 「失敗」から学ぶことは多い。失敗には、小さなミスから大きな失敗まである。
 私が書きたいと思ったのは、小さな失敗についてである。高度な判断を要するような仕事の失敗ではなく、ルーティーンとしての日常の業務に関すること。


 いくつか異なる職場で働いた経験があるけれども、はじめてその職場で働く人に対する対応で、いい職場・悪い職場というものが決まると思っている。

 当然のことながら、はじめて新しい職場で働く人は、基本的には何も知らない。新人さんの教育係は、同じ業種で働くにしても、企業ごとに大きくやり方や考え方が異なるから、新人には「なにも知らない」という前提で説明したほうがよい。

 同じ職場で働いていると、慣れきってしまって「そんなこと当然でしょ?」ということがある。
 新人がぶつける質問に対して、「当たり前でしょ?」という対応をすると「なぜ?」となる。全然当たり前じゃないんだけど。

 教える人からすると、新人へ教えることは面倒くさいことであるけれども、「1から」あるいは「ゼロから」丁寧に教えていくほうがよい。

 教わるほうも自分勝手な判断はしないで、わからないことはわからないと言い、完全にわかるまで一つ一つ相手の話を聞くことが必要だ。

 教えるほうも、教わるほうも、「当たり前」というお互いの考え方は捨てて、お互いに気軽に話し合えるような関係を築くことが大切。  


 失敗すること自体は必ずしも悪いことではない。しかし、コミュニケーションがしっかりとれる間柄であれば、「小さなミス」はほとんど解消するのではないか?

 職種によって違うけれども、単純作業ならば、口で言うのではなく、最初に、実際にやって見せたほうがいいだろう。

 人間一回説明して理解すれば、間違いなくできるわけではなく、何回も聞いては忘れ、忘れては思い出すという繰り返しをしないとなかなか新しいことは覚えられない。

 何でも一回聞いて、すぐに出来る人は稀だ。それはそれでいいが、教える側の人のなかには、一回説明したらその後はなにもフォローしない、説明しないという人がいる。
 もちろん新人の側もメモをとるなり、復唱するなり努力することは必要だけれども、「人にモノを教える」ということをないがしろにしている職場には、冷たい空気が流れていて、離職率は高い。


 現在の企業は一昔前の企業とは違って、社内教育には力を入れていない。すぐに使える人材を引き抜いたり、アウトソーシングしている場合が多い。
 一企業としては、それでよいかもしれないが、「合成の誤謬」ということもある。日本全体としてみたら、損失が大きいと思う。昔のほうが何もかも良かった、とは言わないけれども。
 一生懸命、社員教育をしても、すぐに辞めてしまう人もいるだろう。労働市場が流動化することがあっても、教育って学校だけではなく、職場でもとても大切だと思う。


 リトさんの記事の中で、「何でも出来る人と、何にも出来ない人の二種類がいる」ということが触れられていた。

 いろんな職場を経験して思ったのは、大別すると、次の二種類の人がいるということである。

「自分より地位が上の人にだけ丁寧な人間と、自分より地位が低い人間にも丁寧に対応できる人間」


 リトさんのおっしゃる「失敗」とはかなり次元の低い話になってしまった。避けられる「小さなミス」や「失敗」は避けられるならば避けたい。

 大きな失敗は、経験になるのかもしれない、。、。


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