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押しボタンの心理学 / #振り返りnote




(1) 押しボタンの心理学


歩みを止める
赤信号。
歩行者が渡るためには
ボタンを押さなければならない。

ポチっと一度押してみる
すぐに青にはなるはずもなく。
不安になってもう一度押す。
明らかに押しているのに
まだ赤のまま。


押しボタンは連打したほうが
青に変わりやすいと主張する人がいた。
なかなか赤から青信号にならない時
複数回ボタンを押すことはある。

が、それは、もしかしたら「押し」が弱くて「押してなかったかもしれない」と思うからだ。

基本的には一度しっかり押せば
いずれ青信号に変わると思っている。
だから、押しボタンを連打することは
私にはない。せいぜい、横断歩道を渡る前に2、3回押すのが関の山だ。

たぶん、大人ならみんな私の考えと同じだろうと思っていたのだが、すこし観察していたら、意外と大人でも連打する人が多いことに気がついた。

子どもなら、連打すれば早く信号が青になると信じているかもしれないが、大人でそう考えている人はいないだろう。
なのに、何で連打する人が多いんでしょうね。

イライラの気持ちをボタンにぶつけてるんだろうか?
それとも「ただひたすら待つ」ということができないのだろうか?

別に連打しても、大した実害はないから、連打する人を称賛する気持ちも批難する気持ちもないが、「なんでだろう?」と時折思う。


(2) noteの「スキ押し」


 押しボタンから、noteの「スキ押し」を連想したから書きますが、なぜ「スキ押し」するんだろう?
 
 「スキ押し」すれば、自分の記事に「スキ押し」されることは多いけれども、信号の押しボタンのように、必ずしも反応があるものでもない。当たり前だ、だってスキ返しなんていうルールなどないのだから。むしろ勝手に押しておいて、何か御利益があると思うほうがおかしい。

 自分の記事に「スキ」がつかないからといって、他の人の記事に「スキ押し」するのはいかがなものかと思う。
 とかいって、最初の頃は、どんなに自分でいい記事が書けた!と思っても、「スキ」が2、3個しかつかないと「なんで?」なんて思ったことがある。

 「スキ押し」に込める意味をめぐってイロイロな人がいろいろ議論しているのを見かけるが、1人の人物に限ったって、単なる「あいさつ」のつもりだったり、「既読」の意味に過ぎなかったり、「ホントに素晴らしい!」の気持ちだったりする。

 だから、「スキ押しの意味なんて人それぞれ」としか言いようのないものだ。
 なのに、「スキを押したら、その人の記事に同意したのと同じ」だとか、かたくなに主張する人がいる。そして「ボタンがあるから押しただけ」という人を批難する人までいる。不思議といえば不思議なことだ。
 なんでそんなにスキにこだわる?

 とかいって、全くスキにこだわらないという境地にあるわけでもない。





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