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これまでたくさん記事を書いてきたけれど... ...

はじめに

 これまで、noteをはじめてから1年半の間に、2000以上の記事を書いてきた。
 ふと振り返ってみて、もし、今まで書いた記事の中でひとつだけ残すとしたら、どの記事を残すだろうか?、と考えてみた。
 いろいろ考えてみたが、「🍂お別れのとき🍂」という小説を残すと思う。
 「もう読んだよ👊」という方もいるかもしれないが、再々掲します。はじめての読む方もいるかもしれないので。


短編小説🍂お別れのとき🍂

[1]昭和60年10月

「え、またなの?」

突然のことに私は絶句した。もうそろそろかな、という頭はあったが、やはり驚きを隠せなかった。

「まあ、残念だけど、仕方のないことね。誰が悪いというわけではないのよ。お父さんも、江梨子のために頑張ってるんだから、わかってあげてね。」

母は、視線を合わせることなく、私をなだめた。

「でもさぁ、やっとここでも仲良くなった友達ができたのに」

母を責めるような口調で私は言った。
私は泣き崩れた。

「さみしいよ。いつもお父さんの仕事のことばっかり優先するんだよね。私のことなんか全然考えてくれないんだね」

「ごめんね、江梨子。とりあえず、近いうちに、担任の先生に転校すること、伝えなくちゃね」


[2]昭和60年10月

その翌日、母は学校へ向かった。担任の大里先生に、父の仕事の都合で転勤することを伝えた。

「さみしくなりますね。江梨子ちゃんもつらいでしょうね。お別れのこと、クラスメートのみんなにどう伝えましょうか?」

「いえ、江梨子の性格から言って、みんなに伝えるのは嫌がるでしょうね。中学生2年生にもなると、みんな部活や勉強で忙しいでしょうから、特に何もおっしゃらなくても」

「そうですか。お母様のお気持ち、江梨子ちゃんの気持ちを尊重しましょう。江梨子ちゃんが転校した後に、生徒たちに伝えますね」

「お世話になりました。」


[3]昭和60年10月同日夜

「先生なにか言ってた?」

「江梨子がいなくなるから寂しいとおっしゃってたよ」

「ほんとかな」と私は思った。
というのも、いつも大里先生から小言ばかり言われていたからだ。

スカートの丈が短すぎるとか、背筋をピンと伸ばせだとか。中2にもなって、そんなことばかり言われたくない。

おまけに成績も下がっているだとか。大体、大里先生なんて、音楽の先生のくせに。おばさんだし。五教科以外の先生なんて担任になってほしくなかった。音楽なんて、何の役にも立たない。受験科目でもない。それなのに、エラそうに。

「誰にでも言うようなこと、私にも言っただけなんじゃないの?」

「あら、そうかしら。大里先生、いい先生じゃないの。江梨子のこと、心配なさってくれている様子だったけど」

「それは、一応そういうふうに言うものなんじゃないの。担任だから…」

私は大里先生の肩をもつ母に猛烈な嫌悪感をもった。


[4]昭和60年10月末

次の日、私はいつもと変わらず、8時ちょっと前に学校に着いた。
「おはよう」
私の親友の瞳だ。

「あ、ひーちゃん、おはよう」

「あのさぁ、昨日、江梨ちゃんのお母さんが、職員室で、大里先生と話しているの、聞いちゃったんだよね。引っ越しちゃうってホントなの?」

「そうか、聞いちゃったんだ。みんなには黙っててくれるかな?みんなから変に気を遣われるのも嫌だし、寂しくなっちゃうからさ。ひーちゃんはいいけど、二人だけの秘密にしてね」

「わかった。でも、私は江梨ちゃんがこの町を離れる前に、会いに行きたいんだ。最後に。やっぱり…」

「最後って。死ぬ訳じゃないんだから」

「ははは。それは、そうだけど。で、いつ引っ越すの?」

「来週の日曜日。時間ははっきり決まってるわけじゃないけど、午前中には出発すると思う」


[5]昭和60年11月

ああ、いよいよ今日で、この中学校ともお別れか。でも、今日は土曜日だから、午前中に授業が終わる。このまま、ふっと消えるようにサヨナラできたらいいんだけど。

とりあえず、ひーちゃんにだけ明日の出発の時間を伝えなくっちゃ。

「ねぇ、お母さん、明日、だいたい何時くらいに出発するかわかる?」

「お父さん次第だけど。車の運転が長くなるから、そうね、朝の10時くらいには出発しなくちゃね」

「そう。じゃあ、ひーちゃんには、九時半くらいって言っておくね。じゃあ、行ってきます」

この通学路を通るのもこれが最後かぁ。最初にこの町に来たのは、小5のときだったから、ちょうど3年。中学は1年と半年か。3年なんてあっという間だったなぁ。

でも、小学校卒業はこの町。中学校入学もこの町。ひーちゃんに会えたのもこの町。それなりに想い出になったかな。

「江梨子ちゃん、おはよう」
私は驚いた。大里先生だ。なんで?

「え、先生、どうして?こんなところに?」

「江梨子ちゃんにとって、今日がこの学校最後の登校日。一緒に歩いて学校に行きたいなって思っちゃってね。迷惑だったかな?やっぱり嫌かな?」

「だって、先生と私が一緒に歩いているところを見られたら、みんなから変な目で見られるじゃないですか?」

私は自分でもびっくりするくらい大きな声になっていた。

「ごめんね。江梨子ちゃん。じゃあ、やっぱり先生、お先に学校へ向かうね。また、教室で会いましょう」


「おはよう、ひーちゃん」と私は瞳に声をかけた。

「あ、江梨ちゃん」と瞳はちょっと驚いた様子で呟いた。
「おはよう、江梨ちゃん」

なんかいつものひーちゃんと違うな、私は思った。なんか、ちょっと変。でも、最後の日だからこんな雰囲気になるのかな。

「ひーちゃん、明日ね。9時半に私の家まで来てくれたら会えそうなんだけど」

瞳は私の目を見ずに言った。
「江梨ちゃん、ごめん。明日行けなくなっちゃったの。本当にごめんね…」

「えっ、ひーちゃん、何で?」

「ごめんね、理由は言えないんだ」

瞳の言葉を聞いて私は失望した。どうせ、もうこれから縁がなくなる私。仕方ないか。他の用事を優先するんだ、私なんかよりも。親友ってそんな軽いものなのかな?

最後の授業が終わり、私は、帰り際に、職員室の大里先生のところへ、一応、挨拶に行った。母からお礼の品を手渡すように言われていたからだ。

「あの、朝、渡せば良かったんですけど。これ、お母さんから」

「あら、どうもありがとう。お母さん、お父さんによろしく伝えてね。向こうの学校に行っても頑張ってね。じゃあ、先生、用事があるから、これで。お元気で。さようなら、江梨子ちゃん」

そう言うと、大里先生はどこかへ行ってしまった。

私は、なんか切ない気持ちになった。まぁ、正直に言えば、そんなに大里先生のことは好きではないけど。やっぱり、なんか冷たいなぁ。ひーちゃんも私のことを避けるような感じだったし。去りゆく者にもう用なんてなにもないか…。

[6]昭和60年11月、転校の日

とうとう旅立ちの日か。今日は誰も来ない。さよならは昨日、一応すべて済ませてきた。

はずだった。

「江梨子、そろそろ行くぞ」

「うん、お父さん、いま行くから」

このマンションともお別れか…。最後だから、なんとなく、エレベーターじゃなくて、階段で下におりて行った。

「えっ、ひーちゃん、何で?」

目の前に現れたのは、瞳だけではなかった。男子も女子も、クラスメート全員が私の前に現れた。

「じゃあ、みんな行くよ、練習の成果を十分発揮しよう」

大里先生は指揮棒をポケットから取り出して、みんなの前に立った。

「せ~の」


「暮れなずむ町の♪
光と影の中♪
去り行くあなたへ~♪
贈ることば~♪」 


突然のことに、私はびっくりした。でも、大里先生はやはり音楽のこととなるとさすがだ。きっと、昨日は、私が帰った後、みんなで歌の練習をしたのだろう。

「♪悲しみこらえて~
微笑むよりも~♪
涙枯れるまで~
泣くほうがいい~♪」

涙が次から次へと流れた。
涙が止まらなくなった。

ずるいよ、みんな。こんなことされたら、悲しくなっちゃうよ。最後に私のこと、こんなに泣かせて… …。

どうやら、私の両親も、大里先生が来ることも、クラスのみんながここへ来ることも知らなかったようだ。

指揮棒をおろし、大里先生が振り返って言った。

「これで、最後じゃないよ。この学校ではもう会えないけど、江梨子ちゃんはいつまでも、引っ越しても、卒業しても、ここにいるみんなのクラスメートだし、私の大切な教え子です。どうしてもつらいことがあったら、連絡してね。私のほうから会いに行くからね」

「どうもありがとう、みなさん。先生、本当に最後の最後までお世話になりました」

父と母が深々と頭を下げた。


[7]昭和62年1月

今年は、私のもとへ、大里先生からの年賀状は届かなかった。大里先生にしては珍しいな、忙しいのかな、と私は思った。

1月の下旬、一通の手紙が届いた。
「大里久夫」と封筒に記されていた。

「江梨子さん、妻は昨年、亡くなりました。江梨子さんのことは、こちらの中学校にいたときからよく聞かされていました」
「実は、江梨子さんが転校される直前、ガンが見つかって。そのとき、余命が数年だと告げられていました。その頃からもう助からない、と悟っていたのでしょう」
「なにか、残したいと思ったんでしょうね。江梨子さんのこと、本当にいい子だ、かわいい子だとよく言っていました。江梨子さんには、ちょっと口うるさくなってしまっていたかもしれません。ほかの生徒がいる前で、えこひいきするわけにもいきませんし。どうか、許してあげてくださいね」

「だから。だから、大里先生なんか嫌いなんだよ。死んじゃうなんて。絶対許さないからね」

私は涙を止めることができなかった。


[終]

この小説は、おととしの11月に書きました。
今までに投稿した小説の中で、最も愛着のある作品です。一度読んだことがある方にも、もう一度読んでいただけたら嬉しいです。命の尊さを考えると、胸がいたみます… …。






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