見出し画像

エッセイ | たまには共感ゲームから身をひいてみよう!

 「共感」というものは、感じかたを共にすると書く。「共にする」とは、同じ人間になることや、意見の相違を認めないということを意味するものではない。 
 しかしながら、「共感しました」というと、「あなたと同じ意見です」を意味するだけでなく、「あなたと私は仲間ですね」ということまで意味するような文脈で使われることが多いような気がする。
 とすれば、「共感できません」とは面と向かって言うことはないかもしれないけれども、「共感できません」と言ったら「あなたとは意見を異にします」を意味するだけでなく、「あなたと私は敵ですね」を意味するのだろうか?

 「共感できます」と言われるほうが、「共感できません」と言われるよりも、もちろん気分はいいのだけれども、いつもいつも「共感しました」と言われるとだんだん気分が悪くなってくる。

「本当に理解して、『共感できる』と言っているのだろうか?」「とりあえず、いつも『あなたに敵意はありません』と言っているだけではないか?」な~んて気持ちになってくるのだ。

「そんなに簡単に人の気持ちを分かってくれるなよ!」って突っ込みをいれたくなってしまう。それに加えて、人間はお互いに違うところがあるから、お互いに「補完」しあうことができるのであって、二人が全く同じ人間ならば、どちらか一方は(言葉は悪いが)用済みになってしまうかもしれない。

 「共感しました」は口癖になりやすい言葉なのかもしれない。たまには、「いいえ、それは違うと思います。まったく共感できません」と言ってみたい。別に相手に敵意があるわけではないのならば。。。「共感できません」が歩みよりのきっかけになることだってあるかもしれないではないか?

この記事が参加している募集

スキしてみて

今こんな気分

記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします