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エッセイ | 話し相手とSNS

 人付き合いが苦手だ。他人からどう見えているか分からないが、なるべく一人でいたほうが心地よい。できるならば、食事は一人でしたい。
 嫌いな人は言うまでもないが、好きな人であったとしても、何時間か一緒にいると、早く一人になりたいと思ってしまう。


 お互いに何も話さなくても気まずくならない間柄ならよいが、それでも、ずっと同じ場所にいて沈黙がつづくと、耐え難い雰囲気になってくる。
 かといって、ほとんど誰とも話さない日々がつづくと、何か誰かと話したくなる。


 話したいときに話せる相手。学生の頃は何人かいたが、今はいない。仕事や家庭もあるだろうし、夜通し友人と話すということはもうない。


 年をとるにつれて、ホンネをぶつけられる話し相手というものは減っていく。じゃあ増やせばいいか、というとそう簡単ではない。気が合う相手というものは、恋愛と同じでそう簡単に見つかるものではない。
 また、数を増やせば、こちらが会いたくない、話したくないときにも、相手が話したいときには、嫌でも聞いていなくてはならない。


 だったらやっぱりひとりでいたほうがいいよね、という結論に落ち着く。
 


 こちらが話したいときにだけ話すことができて、相手の話を聞かなくてもいいものはあるか?

 こたえ、SNS。


 「個人的なことは日記に書けばいいじゃないか」とか、「SNSの醍醐味は交流だ!」とか声高に叫ぶ(書く?)人がいるが、そういう人は自分を礼賛してくれる人の文章しか読んでいない。結局、自分の書きたいことだけ書いて、さまざまな反応が欲しいとか偽善を吐きつつ、ただ褒められたいだけなんでしょ?


#self_fulfilling_effect
#エッセイ
#独り言

記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします