ИНК教養講座 | 男が思う"美人"とは何か?
「美」というものは、プラトンの生きた古代ギリシアの時代から、哲学の一大テーマである。山の美しさ、海の美しさ、花の美しさはそれぞれ異なるにも関わらず、同じ「美しい」という言葉を使うのはなぜか?
哲学的に美を考えるのも意義のあることだが、それはともかく🤣、この記事では、「男性が思う美人」についてアレコレ考えてみたい。
上に掲げた記事(↑)では、男性から見た美人のポイントとして、次のことを挙げている。
メイクをほとんどしていないのに、顔立ちが整っていること(ナチュラルメイクが大切)。
目元は大きい黒目と長いまつ毛。
口元、歯並び。
透明感があり、白く美しい肌。
小顔であること。
サラサラで艶やかな長い髪の毛。
スタイルの良さ。
雰囲気、着飾らなくても、華がある。
立ち振舞い。
ムムム。納得できることもあるが、納得できないこともある。その多くは必ずしも、美人すべてに当てはまっているとは思えない。
歯並びがきれいなほうがいいと言う人もいるし、八重歯がいいという人もいる。
スタイルも必ずしもやせているほうがいいとも言えない。
肌が白いほうがいい、とも限らない。
上の中で、多くの男性に共通して言えるのは、自然な美しさくらいではないだろうか?
「自然な美しさ」とは何か?
自然とは、人為的ではないこと、人の手が加えられていないことである。
しかし、なんにもしていない女はいない。だから、「自然な美しさ」と言っても、「何もしていない美しさ」を意味するのではなく、「何かしているにも関わらず、何もしていないかのような美しさ」と考えるのが妥当だろう。
メイクの例で言えば、まゆ毛やまつ毛を盛ってもいいが、あたかも盛っていないかのような盛り方をする。
努力して胸を寄せて上げてもいいが、あたかも寄せて上げていないような「寄せ上げ」をする。
くびれた腰を努力して作り上げても良いが、あたかも何もしていないかのような「くびれ」を作る。
考えに考えた末に言葉を発するにしても、あたかも、ふと思い付いたことをそのまま述べているかのような話し方をする。
オヤジの面白くないギャグを、あたかも自然な発露として抱腹絶倒するかのように笑ってあげる。
「あたかも○○かのような」とはどういう意味か?
ここでいったん、抽象的に美を考えるのではなく、「あたかも~かのような」という意味を考えてみよう。
例えば「自然な泳ぎ方」と言った場合、それは「あたかも何も考えていないかのような泳ぎ方」を意味する。すなわち、頭で考えながら手足を動かして泳ぐのではなく、手足が勝手に動いているかのように泳ぐことである。
では、手足が勝手に動くようにするためにはどうしたらよいか?
それは当然のことながら、泳ぎ込んで、体に覚え込ませるしか方法はない。修練に修練を重ねるしかない。
習気(じっけ)、躾(しつけ)
「自然な振る舞い」をするためには、習慣にすることが大切である。
「美人」を「習気化」(じっけか)することが美人への道。
結局のところ、美人とは、美人であることを習気として身にまとうことを意味するのだろう。
美人は躾が作る!
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記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします