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EGOIST(第11章)

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第11章


 そうか、彼はゲイだったのか……そう聞くと、不思議なことにスーッともやが消え、視界がクリアになっていく感じがした。色んなピースが、綺麗に繋がっていく感覚だ。
 それなりに衝撃ではあったが、彼の湿っぽいウジウジした性格は、難病を患っていることだけでなく、性的嗜好を隠していたことにも一因があったのかもしれない……その仮定は、妙な説得力を齎しながら、ほぼ確信へと変わっていった。
 この数年の間に、LGBTQの認知や受容は急速に広まりつつある。まだまだ不十分とは言え、セクシャル・マイノリティの方にとって、幾分かは暮らしやすい社会になってきたと言われている。おそらく、こういった社会の変遷は塚原がカミングアウトをする後押しにもなっただろうし、結果的に塚原も色々と吹っ切れたのかもしれない。
 駒田の話によると、どうやら塚原は、SNSを通じて沢山のゲイ仲間が出来、彼等だけのサークルに入り浸っているとのこと。また、週に数回はゲイバーでもバイトしているらしい。そういった所での体験談を、いつも明るく楽しく話してくれるそうで、「面白いヤツ」として可愛がられているそうだ。特殊な形態とは言え、塚原は互いに助け合い、支え合うネットワークを築いたのだ。

「塚原が使われてるんなら、俺は割り込むわけにはいかんな。折角の話で勿体ないけど。アイツのこと、かなり恨んでた時期もあるけど、やっぱり知ってるヤツの仕事奪うのはちょっと気が引けるわ」
 率直に駒田に伝えると、彼は嘲笑気味に突き返してきた。
「仕事奪うって……お前、どこまでお調子者やねん。塚原より自分が選ばれるのが当たり前って思ってへんか?  と言うか、それが前提になってへんか?」
「え、いや、そんなつもりやないけど……」
「そんなつもりやないか。そうやって、すぐ人を見下すところがアカンねん。確かに、お前の方が仕事は出来るってことは分かってるよ。でもな、技術力の差なんてあまり意味ないからな。現場でキチンと決められた条件で調律出来れば、世界的な巨匠でも調律学校の学生でも俺には同じや。多分、部下も同じ考えやと思うわ。それよりも、塚原は既にうちのスタッフに信頼されて実績も積んでるんやぞ。お前がそこに割って入るのは、そんなに簡単なことやないで。気が引けるとか、そんな悠長なこと言うてる余裕あるんか?」
 駒田の話を聞いて、私は情けなくなった。全くもって、駒田の言う通りだ。塚原より仕事が出来る自信はある。だから、必然的に塚原を追いやって私が雇われることになると思い込んでいた。塚原に務まる仕事なら、私には余裕だとも思っていた。無意識のうちに、傲慢な上から目線が出てしまうようだ。

「もっと言うとな、塚原は仕事にメッチャ楽しそうに取り組んでるらしいで。だから、現場の空気も明るいらしいし、信頼されてるみたいやぞ。お前、仕事楽しんでるか?」
 そう聞かれても、即肯定出来ないことが答なのだろう。仕事には必死に取り組むようにはなったが、楽しんではいない……いや、楽しむゆとりを失くしている。
「調律師」という肩書を保つことに精一杯で、ピアノとも音楽とも向き合えず、ユーザーの存在も見失っている。本末転倒だ。いつしか、仕事から得られるはずの「楽しみ」や「喜び」も感得出来ず、義務として消化するだけになっている。

「そやな……勝手に仕事貰えるつもりになってたわ。アカンな、俺、全然成長してへんな。仕事を楽しむゆとりも失くしてたかも」
「すまん、俺も聞き方が悪かったな。仕事は楽しまなアカンって言うつもりはないで。やり甲斐とか使命感とかもどうでもいいと思う。ただ、仕事はやりたいかやりたくないかには関係なく、先ずは、するかしないかの決断は必要やな。しないなら、生活保護とか日雇いとか、犯罪で食い繋ぐしかない。俺は……犯罪はアカンやろうけど、そういう生き方を否定するつもりはないねん。でも、仕事をすると決めたんなら、どんな仕事であれ、理由は必要やないかな」
「理由って……仕事をする理由ってこと?」
「いやいや、そうやなくて、その仕事をしている理由かな。選択した理由、継続してる理由……勿論、楽しくてやり甲斐があるとか、子どもの頃から夢だったとか、能力とか性格が向いてるとか、綺麗事やなくてもいいねん。休みが多いとか、趣味の時間が取れるとか、通勤が楽とか、出会いが多いとか、何でもいい、でも、絶対に理由はあったはず」
 そう言われると、私には明確な答が見当たらないことに気付いた。いや、調律師を目指した理由は確かにあった。ただ、継続している理由はなんだろう?
 黙っていると、駒田は更に畳み掛けてきた。

「実は、前から気になってたんよ。今本って、あんまりピアノとか音楽の話せえへんやん。調律師って、すぐ辞めた俺が言うても説得力ないやろうけど、ええ職業やと思うねん。常に音楽とか楽器に触れて、演奏家とか愛好家と接して、専門的な知識と技術を駆使して、良い音を作る……そうやって、縁の下で音楽文化を支えるってだけでも、好きな人には立派な理由になるやろな。塚原からは……まぁ、数回しか会ったことないけど、そんな感じが伝わってくる。技術のことは俺には分からんけど、ピアノが好きで好きで仕方ない印象やし、とにかく楽しそうやし、仕事に誇りを持ってるって感じなんよ。スタッフの話やと、塚原は色んなジャンルの音楽に詳しいらしいし、ピアノの話になると、喋り出したら止まらんぐらい、色んな話聞かせてくれるらしいで。正直に言うと、お前からはそういう調律師っぽい雰囲気、感じたことないねん。でも、独立したのも、学校と決別してもフリーで継続したのも、やっぱりこの仕事をやりたい理由があるからやろ? それが何かは知らんし、別に教えてくれんでもええけど、大事にして欲しいなって思う。逆に言うと、それを見失ったらやめた方がええかもな」

 本質を射抜かれた気がした。駒田の言う通り、私は音楽からもピアノからも関心が薄れている。それでも続ける理由として、収入のため、生活のため、と言うのも詭弁だろう。実際、もっと割りの良い仕事は幾らでもある。バイト収入が、調律師としての収入をかなり上回っていた時期もあった。
 目的か……改めて考えてみると、そんなもの存在しない気がしてきた。硬直した意地、個人経営という見栄、そして、やっぱり続かなかったんだ、と陰口を叩かれたくないというちっぽけなプライド。それらも駒田のいう「目的」に入るのだろうか?

「目的って考えると……正直に言うと、今は完全に見失ってる。やめた方がええのかも、って思うこともあるよ。でも、こんな俺でも、この仕事をやりたかった理由は、最初は確実にあったんよ。元は、ピアノが好きで、工具触るのも好きで、音とかタッチとか、目に見えないものを追求して、言葉じゃなく技術で理解し合える関係ってのにも憧れて、工房に入ってからも師匠の仕事を見るのが好きで、目標にしたこともあって……綺麗な音が作れたら嬉しいし、弾きやすいタッチで揃えてピアニストに喜ばれると、やってて良かったって思ったしな。でも、ある程度技術が身に付いたら、見せびらかしたり偉そうに振る舞ったり、要はマウント取って良い気になって、偉くなった錯覚に酔って、それが快感になってたかも。崇められたいとか、尊敬されたい、賞賛されたいとか……勘違い野郎もええとこやな。目下の人間には自分の思い通りに動いて欲しくて、絶対的に服従させたくて、そうならないから虐めて……その為にこの仕事続けてた時期もあるな。今は、辞めたら恥、みたいに思ってる部分もあって……あかんな、初心を取り戻さんとな」
「でも、こうやって話聞いて、自分を見つめ直して反省するだけでも、昔より素直になってるやん」
「俺、そんなに捻くれてたか?」
「いや、素直は素直やったな。ごめん、言い方悪かったわ。素直やなくて、柔軟に受け止めるようになったんやな。昔はめっちゃ頑固やったで」
「そうかもな……」
 駒田は、無言で優しくて微笑んだ。

「今のリアルな話を聞いて、やっぱりそうやったんか、って思ったけど、ちょっと安心もしたわ。厳しい話になったけど、お前はストイックに真面目に取り組めば上手くいくと思う。前にも言ったことあるけど、しょうもないプライドは捨てた方がええよ。もちろん、絶対に失くしたらあかん大切なプライドもあるけど、お前が必死に守ってるプライドは、ない方がいいもんばっかりやん。今からでも遅くないし、仕事の楽しみとかやり甲斐とか、何でもいいからしがみつく理由さえあれば、大丈夫やないかな」
「うん……ありがとな。まだまだこの仕事にしがみつくつもりではいるよ。とりあえずは、塚原から仕事奪えるように、お前の部下に頭下げてみるわ」
「俺はノータッチで貫くけど、まぁ、グッドラックとだけ言っとくわ」
 駒田は、そろそろ話を切り上げて、解散にしたいようだ。そんな気配を察した私は、逆にまだ駒田と話していたかった。なので、慌てて質問をした。
 ただ、忙しい駒田をいつまでも引き留めておくわけにもいかない。私もこの質問でお終いにするつもりだ。
「最後に聞きたいんやけど、逆に、お前は仕事楽しい?」
「どうやろ……普段は常に責任がのし掛かって、楽しんでる場合やないというか、息苦しいかもな。四六時中、集中して緊張して、色んなこと考えて、判断して、決断して、の繰り返し。楽しいというのはちょっと違うやろな」
「でも、さっきのブースで、メッチャ楽しそうに見えたで」
「そうか? まぁ、そうかもな。石は特別やから」
「前から聞きたかったんやけど、何で石なん? 嫌なら答えんでもええけど」
「石か……おかんが生きてる時、近くの河原によく散歩に連れて行ってもらってな、いつも綺麗な石探して、大事に持って帰ってコレクションしてたんよ」
「両親、いないって言ってたよな? 早死にしちゃったんか?」
「元々母子家庭やねん。後から知ったんやけど、父親は俺が赤ん坊の頃に女作って蒸発したみたい。クズやな。だから、おかんとおばあちゃんに育てられたんやけど、小二の時におかんも病気で死んでもうてな。そこからは専門学校出るまで、ずっとおばあちゃんと二人暮らしや」
「苦労人やってんな」
「いや、俺自身はそんなこと思ったことないで。でも、おかんが死んでからは寂しかったな。死ぬちょっと前に、一人で河原に行って、特別綺麗な石を探そうと思ってな、必死に探して、琥珀色の綺麗な水晶みたいな石の欠片を見つけたんよ。病院に行っておかんに見せたらメッチャ喜んでくれてな、これ私の宝物にするな、って大事に握りしめて、その二週間後ぐらいに死んだんやけど、最後まで石を握っててくれたんよ」
「ええ話やな。その石は、まだあるん?」
「看護師さんが取っといてくれたんやけどな、親戚のおっちゃんに捨てられた。こんなもん、手怪我するぞって……実はな、ビール瓶のカケラやったらしいわ」
「ヤバい、なんか、泣きそうや……お前のお母さんにとっては、世界一の宝石やったんやろな」
「あの時のおかんの笑顔が忘れられへんから、会社がどんなに大きくなっても、石の販売だけは細々と続けてるんや。って、しんみりさせちゃったな。すまんな。じゃ、そろそろ行こか」
 さすがに、もう抵抗するつもりはなかった。
「駒田……ホンマありがとな。話出来て良かった。ちゃんと割り勘にしてくれな」
「もちろんや。奢る義理もないしな。俺も楽しかったわ。この店、機会があったら使ってな」
「お世辞抜きで気に入ったから、また来るわ。安いしな」
 こうして、久しぶりの再会は、ほんの少しの収穫だけを手に、今度こそ本当に解散となった。


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