自分で「選択」することが大事

おはようございます。
心理カウンセラー 池田廉です。

本日は、
自分で選択することが大事、というテーマについて書きたいと思います。

日本という国は、精神性の高い国として、世界的に評価されています。
思いやり・礼儀・純粋素朴 などの特徴があります。

現代社会において、コミュニケーション能力が大いに求められます。
それは単に、会話ができることや、読み書きができることだけでなく、
「その場の空気を読んで、言動や行動を選択する」というもの。

その空間にいる中で、最も権力がある人の意向や決定に同調する。
多数が賛成しているほうに流される。

このようなことができてこそ、社会人らしい振る舞いと認識されています。
しかし、ここで一度立ち止まってみてほしいのです。

そこに、個々人の尊厳や自由というのは蔑ろにされていませんか。
法の下に平等であり、自由という根幹はどこにいったのでしょうか。

学校・職場・友人関係・ママ友など
どのコミュニティにおいても、「空気を読む」ことが、
強いられていませんでしょうか。

空気を読むことは最低限必要だとしても、
あなたの意思や自由を縛ることはあってはならないのではないでしょうか。

こういった、「自由」について、
哲学者JSミルは、このように述べています。

「干渉が正当化されるのは、自衛のためである場合に限る」

誰かに危害を加えるような場合には、誰かに干渉しても仕方ないけれど、
そうでないならば、その人の自由であるから、放っておきなさい。

というものです。

すなわち、あなたが誰かに危害を加えるような場合以外は、
誰にもあなたの選択の自由を阻むことはできないということです。

ここで述べられている「危害」とは、
肉体的に限らず、精神的という意味合いも含まれています。

また、ここでミルは3つの自由も主張しています。

①意見と感想の自由
②目的追求の自由
③団結の自由

これら3つの自由があってこそ、
真の「自由な社会」だと述べています。

意見を言えないのも不自由であり、
目的を追い求めることを禁止されることも不自由、
同じ志を持つ人々で集まれないとしても不自由。

これらは、過去も現在も同じ概念ですね。
しかし、小さな近しい組織や関係性になるほど、
蔑ろにされているかもしれません。

最後に、「思想と言論の自由」について触れておきます。

①相手の意見が正しいかもしれないと心がけましょう
②間違った意見の中にも、一理あることがあるものです
③議論のない意見は偏見であると心得ましょう
④自分の意見の消失は、自分の生きる意味を見失う危険性がある

思想と言論の自由、という言葉は聞きなじみのある方も、
少なくないことと思います。

ここで私が読者の皆様にお伝えしたいことは、
4つ目の項目です。

生きる意味を見失わないために、絶えず自分の意見、
心の声に意識を向けてみてほしいのです。

あなたの意見が正しいか、間違っているかは重要ではなく、
あなたがどのように感じ、受け止め、考え、伝えるのか。

ここにあなたの存在に大きな意味を与えてくれます。

どうせ自分の意見なんか聞き入れられない、
という考えを捨てて、聞いてくれなくても、意思表示をする。

自分で選択するということを大事にしていただきたいと思います。

あなたの個性を前面に出していきましょう。
それは、行動の自由です。

あなたは、自由です。
あなたなりの選択をして生きていきましょう。

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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