いっぺん死んでみるワークショップ、模擬納棺式レポ
昨日も書いた通り、
AKIZUKI galleryでいっぺん死んでみるワークショップと
模擬納棺式が行われました。
わたしの性質として
「生きづらさ」というものが大きくあります。
小さい頃から引っ込み思案で内弁慶で
外に向かって自分を表現するのが
とても苦手な人間でした。
思春期頃は気分の落ち込みが酷く(今思えば栄養不足や女性ホルモンの仕業なんじゃないかと)
高校はよく保健室に通い、死にたい、生きている意味がわからないと
保健室の先生に相談したり、カウンセリングを紹介してもらい通ったりと
なかなか生きづらい日々を送っていました。
なんで生きないとダメなの?
勝手に産んだんでしょ、自分の意思じゃないと
子どもながら子どものようなことを
ずっと言っていたような気がします。
二十歳ごろは心療内科に通い、薬漬けな毎日でした。
自分の見た目にも執着心が強く、
その頃1ヶ月で10キロ近く痩せて、それで満足しているような人間でした。
大人になっても落ち込む時ことが多く、
歳を重ねるにつれて
あれ?生理前に落ち込み出てないか?
と気づいたりもしましたが
元々の性質として、
自分は生きづらい人間、
上手に生きられない、
根っこが死にたがり、
なのだと思っていました。
かといって、
自分で自分に手をかけられるほどでもなく。
「死にたい」というより
「生きていたくない」思いが強かったかなぁと思います。
よくある、
眠って、そのまま目が覚めなければいいのに症候群
でした。
そんなわたしですが
現在とても平和で幸せを味わいながら生きています。
歳を重ねて、図太さが育ってきたのもあると思いますが、
低用量ピルと、栄養をきちんと意識して摂るようになったことが
とても大きく影響しています。
前置きが長くなりましたが、
そんな人生を送ってきたわたしが
5回ほど受けている
いっぺん死んでみるワークショップ。
一番最初に受けた時は
衝撃的でした。
レポと題していながら
内容を書かずに進もうとしていますが
いっぺん受けてみたらわかります。
ワークショップは3時間構成でした。
1時間目は「死」に関するシェアタイム。
話したいことだけ話せばいいので、無理強いはありません。
そして実際の死亡診断書を見ながら
自分はどう死にたいか?を詳しくイメージしていきます。
2時間目は自分が死ぬ擬似体験を、
講師が話すストーリーに沿って体験します。
その中で、自分にとって大切なこと、意味のあることを
どんどん手放していくのです。
最後の呼吸まで体験した時には
どんな大切なものも、手放します。
そうか、それが死なのか、と
いつも新しい感覚でハッとするのです。
どれだけ手放し難いものでも、
死ぬ時には手放さなければいけない。
つまり、手放せないものは、ない。
わたしが普段生きていて、
手放せない、と思っている強い思いは
ただわたしが、
手放したくない、と思っているだけ
なんだなと。
昨日はこれが腑に落ちました。
3時間目は、昨日は講師が内科のお医者様だったので
延命治療のお話などもありました。
自分の場合はどうなのか、どうしたいのか。
もしばなゲームや
バリューズカードで
自分の大事にしたいことを楽しく深掘りしていきます。
ほんとに盛り沢山な3時間です。
体験した方は、誰もが体験した方がいい、と思うはずです。
参加者さんは、医療従事者の方が多いイメージですが
わたしのように医療とはほとんど関係のないところで生きる
普通の人、こそ
普段「死」について考えることがないので
大切な時間になると思います。
というわけで、
前半のいっぺん死んでみるワークショップでした。
午後は模擬納棺式。
納棺師の大森あきこさんにお越しいただきました。
そもそも
なぜうちで今回模擬納棺式が行われたかというと
夫のインスタライブで暢子先生と対談している時
ワークショップなどの活動内容について話しているときに、
棺桶に入ってみたい〜!とわたしがコメントしたからだったと思います。
ご遺体役まで体験させていただけるとは思っていなかったですが
とてもとても意味のある体験になりました。
参加者人数が20名近い中で
どういうテンションでご遺体役をすればいいかわからないまま
目を閉じてされるがままでいたのですが
正直、とても気持ちのいい体験でした。
目を閉じてされるがままでしたので、細かいところは覚えていませんが、目を閉じながら感じていたことを書いていきます。
まずは納棺師の大森さんによる、納棺師とは?という話から始まります。
わたしも実際、納棺師さんにお会いしたのは初めてですし、納棺式というのも、マンガでしたみたことがありませんでした。
ご遺体役をするにあたり、私服の上から長襦袢(名称違っていたらすみません)を着用します。左前です。
そしてお布団の上で、寝た状態で支度をしていただきます。
この枕がとってもふかふかで気持ちよかったです。
納棺師さんの手つきは、わたしからは見えないのですが、
とても美しい所作だったそうです。
実際、触れられている私自身、丁寧さが伝わり、とても気持ちよかったです。
実際の流れ通り、納棺式を行なっていきます。
参加者さんは親族役となり、皆さんに協力していきながら仕上げていきます。
布の下で、最初に来た長襦袢から死装束へと着替えさせてくれるのですが
それもとても丁寧で一つ一つの動作が心地よかったです。
実際は亡くなった方のお着替えなので、
とても重たいんじゃないのかなぁ?と後で聞いてみたら
やはりそうだそうです。
お着替えの後、参加者さんに他の装具をつけてもらいます。
足袋などは左右逆につけたり、
三角頭巾は顔の印象が変わるので今はつけずに笠に入れたりと、
今の時代ならではの納棺式のお話を交え、進んでいきます。
参加者さん全員に、手を拭いてもらったのですが、
ほとんど初対面の方で、こんな知らない女の手を拭いてもらうのが
なかなか申し訳ない気持ちだったのですが
皆さんの手がとても温かくて柔らかく、
これもまた気持ちのいい体験でした。
この時、「あぁ、これは私だけじゃなくて誰もが体験できたらいいなぁ」
と思っていました。
途中でお昼寝中だった息子が起きてきて
泣きながら「ママ〜」と呼ばれた時には
どうしようかと思いましたが
バナナを与えると落ち着いてくれました🍌
支度が終わった後は、横たわったまま、
隣にある棺桶に入れてもらいます。
何人かでいっせーのでで(掛け声があったかは忘れました)
持ち上げて入れてもらいました。
その後、棺桶に一緒に入れる大切なもの、を入れていただきました。
結局、思い入れのあるカメラと、
家族の写真を入れてもらいました。
実はわたしは、閉所恐怖症で
なかなか狭いところを避けてきた人生なのですが、
棺桶って圧迫感ありますよね。
と、
蓋を閉めてもらう時点で気づき
大丈夫かな、大丈夫かな、と思いながら
じっとしていました。
恐怖心よりも、どんなふうに感じるのか、体験してみたかったのです。
蓋が閉まった時
突然の静寂にびっくりしました。
こんなにも周囲の音が小さくなるのかと、
少し目を開けて様子を伺ってみました。
後で参加者さんも入棺体験をしたのですが
その時に
「子宮の中に戻ったみたい」と
話されている方がいて
ステキな表現だなと思いました。
やっぱり、体がギュッとなるような圧迫感に
ドキドキしていましたが
顔の前の小窓を開けてもらえたら
みんなの顔が見えたり、声が聞こえて
とっても安心しました。
今回の棺桶は、ドーム状になっており、
平らな棺桶よりも圧迫感が少なかったんだと思います。
模擬納棺式だからこそだと思いますが、
みんなワイワイしていて
実際の自分のお葬式も
こんなふうに賑やかだといいな〜
なんて考えていました。
今回、一日を通して
自分が何をどう感じるのかな、
と期待していたのですが
生きてる、生きてる、生きてる!!
でした。
こんなにも生きているわたし。
模擬納棺式で
途中息子が泣いてママーと
叫んでいた時
ほんとうに死んでしまったら
応えてあげられないんだな、と
グッときました。
まだまだ、死ねないな。
そう思いました、あの死にたがりが。
自分が今
「生きている」と
こんなにも強く何回も意識したことは
ないかもしれない。
納棺式というものを
わたしは実際にまだ体験したことがないですが
とてもあたたかく、優しい空気の漂うものなんだなと、
今日知ることができてよかったです。
死んだ後のことなんて
死んでるんだから
それなりに、でいいや
と思っていたし
棺桶に入れてもらうものも
何もなくていい
なんて思ったけど
実際に棺桶の中に入って
予行練習をしてみると
意識が変わったように思います。
死んだら終わり、
はいもうすべての執着から自分は解き放たれる。
とか
そういうのじゃないのかも。
なくならない、
続いていく、
もっと優しいもの。
いっぺん死んでみるWSは
自分の死についてとても向き合う時間です。
ズン、と胸が重くなる。
イヤだなぁ、痛いのやだなぁ、
死ぬのこわいなぁ、なんて考えちゃう。
でもそれだけじゃない。
回数を重ねるごとに
薄く層が積み重なっていくように
自分の人生に厚みが増していくような気がします。
なんて素晴らしいワークショップなんだ。
全国で行われています。
ぜひみなさんも
いっぺん死んでみてはいかがでしょうか?
ちなみに、入棺体験をすると
長生きするそうです☺️
サポート、励みになります🥹