見出し画像

4歳からの違和感:性別違和と向き合う


はじめに: 鏡の中の自分との出会い

1986年。4歳の私は初めて鏡で自分の顔を見た時、強烈な違和感を感じました。背が少しだけ伸び、踏み台を使えばやっと見えるようになった洗面所の鏡。そこに映る自分の姿は、私が思い描いていたものとはかけ離れていました。

「変な顔。可愛くない。」

自分の姿に強烈な違和感を抱いたその時の4歳児の気持ちを、なんとか言語化するとこんな感じになります。思っていたのとは違う、飾り気のない姿。可愛くない。奇妙で気持ち悪く、とてもじゃないけど自分の姿を直視できませんでした。その日以来、洗面所で自分の姿を鏡で見るのが嫌で、歯みがきの嫌いな子だと母親から思われるようになりました。本当の理由なんて言えるはずもないままに。

性別への違和感と自己表現

ちょうど同じ頃、母の手に引かれて買い物から帰る途中、ワンコインで買える小さいおもちゃを買ってくれることになりました。私が選んだのはピンクのハート型の容器に入ったビーズアクセサリーのキット。しかしこれを選んだ時、母親と店のおじさんから、こう言われました。

「えっ?本当にこれでいいの?」

幼いゆえに言われたことは正確に覚えていませんが、目の前の大人たちは驚きと戸惑いを私に向けていたのは確かでした。いま思えば、男の子らしくない行動に母は戸惑ったのでしょう。

そしてこの頃は、母のウェディングドレスの写真を見るのが好きでした。写真に映る母の姿がとても素敵で、自分もいつか着てみたいと思っていました。窓にかかっていたレースのカーテンを、体にくるくる巻きつけてウェディングドレスを着てる気分になって遊んだ記憶もあり、そんな男の子らしくないエピソードは、数えきれないほどあります。

母との衝突

そして5歳の頃、事件は起こりました。母が着ていた素敵な大人のデザインの服を着てみたくなったのです。少し成長した私は、勝手に試着したら怒られるのは想像できましたから、母が買い物に出かけた隙に試着してみることにしました。ところが母が思ったより早く帰宅し、私が母の服を着ていることを見つけるやいなや、異常な剣幕で怒り狂い、私の顔を何度も何度も出血するまで平手打ちで殴りました。そして私を酷く侮辱する感じで、こう怒鳴りつけました。

「そんなに私の服が着たかったら着ればいいじゃない!ほら、着せてあげるわよ!あなたは今日からお母さんね!」

その言葉と行動は、幼い私の心に深い傷を残しました。暴力による痛みよりも、自分が素直に好きだと思ったことを理不尽な形で否定されるという、心を深くえぐられる痛みが強烈でした。その証拠に母から言わたことを、こうやって今でも記憶にはっきりと残っています。当時は幼かったので、なぜここまで母が過剰反応したのか理解できずにいました。

また同じ頃、私は母に髪を伸ばしたいことを伝えました。幼稚園にとても美しいロングヘアの子がいて、私もそんな髪に憧れたのです。すると母はバリカンを購入し、私の髪を坊主に刈り始めたのです。それ以来、小学校2年生くらいまで私の頭は母のバリカンで剃られ続けることになりました。そのたびに悲しい気持ちになりましたが、泣くことなんてできず、気持ちがどんどん暗く沈んでいきました。

成人するまでの間、私は気を抜くと女子が好むような物を選んでしまったり、言動が女子っぽいことで軽くいじめられたりすることが度々起こりました。男子らしく振る舞うことは私にとって自然なことではなかったので、周りの男子の言動を真似ることでトラブルを回避しようとしました。非常に保守的でヒステリー気質な母を落ち着かせるため、家庭の中をできるだけ平穏に保つことを最優先に考えながら、子供時代を過ごさざるを得ませんでした。

余談ですが、母親はこの頃にあるカルト宗教に傾倒していきました。子供に厳しい体罰を与え、極端な生活制限を課して社会から隔離させるという教義が、彼女の価値観と一致したのだと思います。私が幼少期の頃、母はそのカルト宗教に完全にのめり込んではいなかったものの、実質的に私を世間から隔離するという教義を実践していたのです。

自分の体との葛藤

思春期になると、私の身体は他の男子と比べて違いが顕著になりました。華奢でウェストが細く、筋肉があまり発達しない。まるで女性が理想とするスリムな体型をそのまま具現化したかのような身体でした。同級生の女子や大人の女性から、やや皮肉めいた言い方で、私の体型がうやらましいとお褒めの言葉を頂いたりもしました。

主に女子に多く、男子では稀な思春期特発性側弯症にも罹りました。(発症する原因は性ホルモンの影響が大きいと言われています。参考:https://www.pref.shiga.lg.jp/mccs/shinryo/sekegeka/shikkan/301358.html)華奢な体型は現在でもほとんど変化せず、側湾症もこの頃からの長い付き合いです。これらの事実から、素人ながらの推察ですが、私の身体は生まれつき性ホルモンに関係する問題を抱えている可能性があるのかもしれません。

声変わりと喉仏が現れた時、私はもう悪あがきをやめ、開き直って男性として生きていくしかないのだと悟りました。覚悟はしていたので絶望はこそはしませんでしたが、身体が意に反して成長していく様子を見て、気持ちはさらに暗く沈んでいきました。

私は自分の姿を見ないことで、この問題を解決しようとしました。私の置かれた家庭環境と時代背景的に、当時としてはこれが唯一の選択肢でした。自分の身体など、まるで存在していないかのように扱うこと。鏡を見ることも、写真に撮られることも避け、男子用の服に興味のない私は鏡を必要としませんでした。そうして10年が経ち、その後も20年、30年と自分を誤魔化し続け、それが成功したように見えました。

ロックダウンと自己発見の瞬間

そして2020年、コロナウイルスが世界を襲い、ロックダウンが実施されました。この時、私は一つの大きな変化を経験しました。カットできなくなった髪が肩まで伸び、鏡の中に映る自分の姿を、まるで生まれて初めて自分自身を見るかのように見ていました。分厚い仮面の下に隠れている自分自身に再び向き合うことができるかもしれない、そんな予感がしました。

ロックダウンが緩和されたタイミングで美容院に行き、勇気を出して自分の要望をちゃんと伝えました。美容師さんは期待していた以上に素敵にカットしてくれて、生まれて初めて鏡に映る自分の姿を、目を逸らさずにしっかり見ることができました。この瞬間、自分の内側で長い間押し込められていた何かが、少しづつ解放されていくのを感じました。

『自然な状態の自分を押さえつける力』をはっきり認識できた私は、意識的にその圧力を徐々に弱めていくことにしました。いつの日か自分を解放できるという確信が生まれたからです。

鏡をまともに見れるようになった私は、同時に老いも意識するようになりました。その時すでに40歳。自分の姿を見ることを拒否していたため、自分の老いに気がつくことができなかったのです。そこから、髪の手入れとスキンケアを始めました。不思議なことに、髪と肌のケアは初めてのはずなのに、以前から同じことをしていたようなデジャブを感じることがありました。それほど、自分にとって自然に感じる行為だったのかもしれません。

より生きやすい自分を見つけるための行動

これをきっかけに、少しでも生きやすくなるために、行動を始めました。自分の中で感じていた違和感を一つ一つ取り除くために以下の取り組みを行いました。

  • 薄毛治療(AGA)のための投薬

  • M字ハゲの改善と中性的なヘアラインを作る植毛手術

  • レーザーによる髭の永久脱毛

  • 身体の体毛の除去

  • 違和感がない程度のメイク、特に眉毛を整えること

  • 男性が着ても違和感のない女性の服に切り替え

これら自己ケアを始めて2年が経ち、徐々に気持ちにポジティブな変化が生まれました。自分に向き合う時間が増えるということは、内省できる時間が増えるということだからです。

「私は今幸せか?そうでないとしたら、どうすれば幸せになれるか?」

「愛する人の話をちゃんと聞いているか?」

「周りの人を大切にしているか?」

「仕事へ過集中してしまい、精神をすり減らしてはいないか?」

など、自分自身との対話ができる時間が増えるにつれて心も安定してきました。

これまでは自分自身を無視してきた分、人生は不平不満の塊となり、「お金さえ稼げれば不平不満が解消され幸せになれる」と信じて頑張ってきましたが、それが大きな間違いであることに気づきました。

お金を稼ぐことが非常に重要という考えに変化はありません。しかし、しかめっ面をして仕事に全振りする人生は虚しいものです。他の男性とは肉体的にも精神的にも異なる自分を肯定してあげれば、上機嫌で仕事ができるし、お金もしっかり稼げるし、そのお金を使って人生を楽しめることに気づけたのは大きな収穫でした。

性別適合の選択と結婚生活への影響

4歳から抱え続けた性別に対する違和感。気づけば世の中はLGBTQに対してずいぶんと寛容になりました。就職や就業に関連する性的少数者に対する差別は法律で禁止され、性別違和を抱える人に対する治療は健康保険でカバーされています。そんな現実を目の前にして、私の気持ちは揺れています。

「いい世の中になったじゃない」

確かにそうかもしれません。しかし一方で、私の抱える問題に一生気付かない振りをして一生過ごせばよかったと思う日もあります。性別適合のためのホルモン治療なんて、まるで夢のように感じるものです。私が抱え続けている違和感の根源を緩和してくれるその治療に、今すぐ飛びつきたい気持ちを理性で抑えるのに必死な自分が、ここにいるのです。

私はホルモンを摂取したとしても、女性への性別移行は望んでいるわけではありません。ましてや世間から女性扱いされたいとも思いません。やりたくないという意味ではなくて、現実的に不可能なことくらいは理性で理解しています。4歳の頃から続いている自分の生まれもった性に対する強烈な違和感は今でも変わりません。私にとっては、身体と心に対する違和感を解消することが最優先であり、性別移行とはまた別の次元の話なのです。名前を変えたり、パスポートの性別欄を変えたり、自分のことをshe/herと呼んでほしいとは思いません。

その一方で、身体を私の本心が望む形、つまり男性的な身体の特徴を緩和する形に変えたとして、一番大きな懸念材料は結婚生活への影響です。私と妻は若い頃から20年近く一緒に暮らし、もはや彼女は私の一部です。自分のことばかりに気を取られて、愛する妻の気持ちをなおざりにしてしまわないか、この点が本当に心配です。

さらに、法律や社会制度が整備されつつあるとはいえ、人々の認識にが変わるには非常に長い期間がかかります。だから、今の社会で本当に生きていけるのかが不安です。ホルモン治療が仕事の成果に影響しないか、対人関係に支障をきたさないか、転職の際に不利にならないかなど、不安要素は数えきれません。

終わりに: 自己対峙の決意

とはいえ、これまで私は数々の困難を乗り越えてきました。見ず知らずの国に移住し、そこで生活の基盤を一から築き、懸命に努力してきました。無事にここまで生きてこれたのは、妻からの大きな愛と、周囲の方達の協力、そして困難を乗り越えようとする覚悟があったからです。

過去の私があったからこそ、未来を築くことができると信じています。たとえホルモン治療で私の精神や肉体が変化が生じたとしても、私の過去を切り捨てて否定することは、私の哲学に反します。今まで何かあるたびに、そっと手を差し伸べてくれた人々への感謝を忘れず、苦境の中で得た学びを今後の自分に生かし、ありのままの自分自身としっかり向き合うこと。それが私の性別違和感に対する根本的な治療であり、これまで以上に大きな覚悟が必要になるでしょう。

私がいつか死を迎える時、これまでの生き方に後悔しないよう、残りの人生を自分自身と真剣に向き合いながら過ごしていきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?