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すべての働くことの中にあるファクト

昔、大学院にいた頃の先生で、カウンセラーをしている人がいた。
その先生に、「カウンセリングではアドバイスをしないと思うのですが、クライアントとお話しているときはどんなことを考えているんですか?」といった内容を質問したことがある。

その先生は一言、
「良くなれ!と祈っている」と答えた。

その経験から十余年がたち、私は仕事がなかなか続かなかったり、自分が発達障害者であると知り愕然としたりしてきた。

今、誰かに向けて文章を書いているのは、直接的なきっかけはお金もうけの道具として自分の文章作成能力を使おうというものだが、色々と考えるうちに気づいたことがある。

本当に伝わる言葉には、「良くなれ!」という祈りがこめられているのだと。

稼げるブログを作ろうと考え、マーケティングやら効果的な見せ方やらを調べていたが、その際、パートナーから言われたのは、

「まずは受け入れてもらうことじゃない?」だった。

そのとおりだ!と思い、受け入れられるようなキャラクターづくりだとか、人気のブログの研究とかしてみたが、なんか違和感があった。

「受け入れてもらった後、何が伝わるんだろう?」

そう、つまりお金もうけの道具それ自体にはメッセージがない。強いて言えば「良い情報を載せるからお金くれよ」くらいである。
それを感じ取り、拒否反応を示したパートナーの言葉が「まず受け入れられろ」だったのだろう。

それをYoutubeで、ある動画を見て確信した。

「稼げるブログには熱がある」

これだ!と思った。

殆どの人がなにかを始めようとして小手先だけの手習いで終わってしまったり、やたらと技術や専門的な話題に走って躓いたりと、つまり迷走してしまうのはそれが原因だと感じた。

そこで、カウンセラーの先生の話を思い出したのだ。

「良くなれ!と祈っている」、という言葉を。

どんなサービスも結局何がしたいかというと、相手に「良く」なってほしいのだ。

その気持ちのないサービスが空虚なものになるのは当然だ。
私はこれから、読者に「良く」なってもらうために文章を書こうと思う。

こうした決意表明じみた衝動に任せてこの文章を書いているのだが、書き始めるときにふと、自分の本棚の『FACTFULLNESS』を見た。

その本の作者が伝えたかったことが、「世界は良くなっている」だったことを思い出した。

読んだ当初は「なるほど、そういうデータがあるのか」という感想しか出てこなかったが、
今では見方が全然変わってしまった。

今の私なら共感できる。

作者は「世界は良くなっている」と気づいてほしかった。
それが読者にとって「良いこと」だと思ったからだ。
つまり作者も読者に「良くなってほしい」と思っていたのだ。

「良くなれ!」という祈りが、人の活動の原動力である。それが事実である。
その事実が伝わり、多くの人が更に多くの人に想いを伝える世界。
それが作者にとっての『FACTFULLNESS』だったのではないか、と思った。

改めて作者のご冥福を祈るとともに、微力ながら想いを繋げていきたい。

メチャクチャな人生だが、この事実に気づけたことに満足している。

これから、頑張りましょう。

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