ELSIってなんだ?技術革新について哲学者が考えることとは―。
オレンジと緑で彩られた『フィルカル』Vol. 8, No. 1が、4月末に刊行されます。
今号の巻頭を飾るのは、「ELSIの流れのほとりにて」と題された特集。
株式会社電通と大阪大学社会技術共創研究センター(通称ELSIセンター)とのタイアップ企画で、気鋭の若手研究者がELSIにかかわる哲学の位置を考えます。
広く社会と哲学(アカデミア)の関係を考えるうえで、刺激に満ちた証言と考察をお届けします。
ELSIってなんだ?
そもそも、ELSIとはなんだろうか。
聞いたことある人も、ない人もいるでしょう。
まだまだ私たちにとって馴染みの薄い新語ですが、間違いなくこれから先の社会ではますます重要になる言葉です。
試しに「ELSI」とググってみると、阪大ELSIセンターのHPがヒットします。
(「地球生命研究所」さんもヒットするが、今回の"ELSI"とは関係がない。)
ELSIセンターによると、
この定義を見て「なんだか漠然としているなあ…」と思ってもおかしくはありません。
実際、ELSIという枠組みは、幅広い(未知の)新規技術を射程に収めるために、あえて緩やかに設定されている観があります。
その一方で、ELSIが生命倫理的な問題から出発しているという点は、私たちがこの枠組みを理解する上で重要です。
ELSIセンターによれば、
要するに、分子生物学者であるワトソン氏が、ヒトのDNAに手を加える際などに生じる生命倫理的問題を専門に研究する必要性を訴え、その時のキーワードがELSIだった、ということです。
たしかに、遺伝情報にかかわる研究や新技術は、もっとも倫理的問題を惹起しやすいトピックのひとつです。
こうした新規の研究・開発を着実に進めるためには、適切な法規制と倫理的議論が積み重ねられなければなりません。
言い換えるなら、次々発見される技術に「社会」が追いついていかなければならないのです。
そうした目標をはっきりと示す概念的な枠組みとして、"ELSI"が産みだされたわけですが、今日では、上述の問題にかぎらず幅広い新規技術にたいして"ELSI"という枠組みが適用されているのです。
『フィルカル』ELSI特集を通じて見えてくるもの
さて、ELSIが新規技術と社会的課題のかかわりを論じるものであるならば、その射程は、当然倫理学や社会学、歴史学といった人文学にも広がっていることになる。
それどころか、おそらく人文学は「技術」よりもどちらかといえば「社会」の側から、ELSI的議論に参入していくよう求められているでしょう。
『フィルカル』ELSI特集は、まさに「人文・社会科学系の研究者のいわば内側の目線からみたELSIの姿を報告、分析するもの」になっています(佐藤暁「はじめに」『フィルカル』Vol. 8, No. 1, p. 6)。
特集の執筆者は、
哲学・倫理学などを専門とする鹿野祐介氏(大阪大学 COデザインセンター/社会技術共創研究センター )
文化政策・音楽学などを専門とする肥後楽氏(大阪大学社会技術共創研究センター)
文化人類学・科学論を専門とする森下翔氏(大阪大学社会技術共創研究センター)
以上三名。
それぞれが、自身の専門分野からの目線で、ELSIとの向きあい方を論じています。
『フィルカル』編集長の佐藤氏は、この特集の特色について次のように語っています。
まさに、ELSIが個別の研究分野にかかわらず、幅広い技術と多様な社会的課題を取り込むものである以上、そこにかかわる研究者はどうしても分野横断や異分野交流を実践することになります。
研究が蛸壺化しつつある今日、分野を超えた試みがどう難しいのか、何をもたらすのか、等々の問いがますます存在感を増していると言えるでしょう。
『フィルカル』ELSI特集に記された執筆者たちの経験と考察は、これからの社会とアカデミアの関係を考えるうえでも見逃せないものです。
ぜひ『フィルカル』Vol. 8, No. 1で全文をお楽しみください。
By フィルカル制作部
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