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直感的な論理

職場では、論理的だと評価を受けることが多い。
ただ、僕としては直感的に考えたことを喋っているだけなので違和感がある。
その場で、ぱっと思いついた事を話しているだけなのだ。

とはいえ、思い当たるフシがあるので、その事について書いてみようと思う。
僕はベースが直感的な人間なので、まず言語化できないスキキライやヨイワルイが先立つ。
まずそれがありつつ、小さい頃はそれをそのまま表現していた。
しかし、当然言語化できないのに直感であれこれやっていると周りと亀裂が生まれる。
直感だけで動いて損をすることも増えていった。
そのため、損をしないように少し自分の直感を紐解いていくようにしたのだ。

なぜ、自分がスキだと思うのか。ヨイと思うのか。
わざと逆の視点で考えてみて、自分の直感は揺るがないのか。
などなど。
自分の直感や感情を振るいにかけて眺めていくのが当たり前になっていった。
その成果として、ぱっと直感で行った事に論理破綻が少ないようになったのだと思う。
おまけに、言っては何だが社長やら部長やら相当偉くでもならない限り、正直なところ難しい問題なんて出てこない。
だから、一個人がちょっと習慣としてやっている程度の事でも事足りるのだろう。

ビジネスは再現性が重要なので、最先端の産業でも無い限り、はっきり言って難しいことなんてそうそう転がっていない。
多くの人が理解できないということは、要はビジネスにならない訳だ。
もちろん、前述の通り最先端だったり、学問の世界は違う。
けれど、ビジネスになるようなものは、例えば10年とか20年も前に軍事の世界で使われたもののお下がりでしかないのだ。

とりあえず、ビジネスでは単純な論理くらいしか出てこないという前提の上で、僕が工夫していることについて書く。

僕は最初は直感で考えるのだが、当然、そのままだと人には通じない。
だから、その直感を補強するための情報を集める。
情報がある程度集まれば、それがどんどん根拠となって、その直感が強くなる。
この程度まで強くなったものであれば、他の人にも分かってもらえるなと思ったらそれを話す。
なので、僕はそうなるまで結論は出さずに質問しかしないようにしている。
途中経過で何かしら結論っぽいことを話しても無駄だからだ。

逆に、その場で情報が集められないなら、どういった情報を補足すればよいか考える。
そして、その情報が集まるまでは、前述と同様に結論を出さない。
情報が集まって、直感と合っていればそれを話すし、間違っていれば直感のどこが間違っていたのかを洗い出して、それを話す。

基本的に論理的におかしい結論が出る時は、情報が足りていない。
情報が足りていれば、直感で確からしいことを言うのは難しくない。
◯◯◯
という言葉の穴埋め問題があったとして、何も情報がなければ一生埋められない。
情報を集めるというのは、ヒントを得るのと同じようなものだ。

「い」で始まる
とか
「ご」で終わる
とか

上記の条件だったら、「いちご」かもしれないし、「いなご」かもしれない。
でも、まったく何も情報がない時よりは、確からしい事を言うことができる。
情報を追っていった時に、果物だと言われれば「いちご」だろう。
もちろん、これは穴埋め問題だから正解があるが、現実では正解はあまりない。
けれど、確率的に確からしいことを言うのは難しいことではない。

また、意識している事としては、別に間違っていても良いということだ。
仮に選択が間違っていたとしても、その理由を洗い出して謝罪すれば大抵の事は丸く収まる。
もっと言えば、基本的に今この場で言える確からしいことなんて、そこまで価値がない。
実際は、一度決断した後で実行して、その実況している過程で分かる情報の方が重要なのだ。
机上の空論を作ろうとしても、分からない事が多すぎる。
だから、さっさと机上の空論は切り上げて、何らかの方向性をもとにまず実行する事の方が大切なのだ。
そして、前述の通り実行して分かったことと、即座に反映することの方が重要となる。

多くの人が何らかの正解があると思って二の足を踏んでいるが、ほとんどの場合、正解なんてない。
例えば、8割の職場でうまくいく方法論があったとしても、この職場で使えなければ意味がない。
たった今、ここ、に通用するものを見つける為には、さっさと決断して、少しずつ改善するしかない。

そういう意味では、僕は直感を補強する情報を最低限は集めるが、なるべく早く決断するようにしている。
他の人よりも早く決断し、実行し、それをもとにフィードバックを入れる。
そうすると、他の人よりも早く生きた情報が集まり、業務も徐々に良くなる。
それを繰り返すことで、人より早く遠くに行ける。

となんだか偉そうに書いているのだが、論理が多少なりとも評価される世界で良かったと常々思う。
僕は身体が弱いので、「いちいちうるせーよ」と殴られたら僕は生き残れない。
人間の世界は、恐らくそのほとんどが暴力の時代だったと思うので、僕みたいなのが活躍できるのは奇跡的だと言える。
もっと後の世界になれば、人間なんかよりAIの方が超論理的なので、お役御免だ。
そうなったら、また暴力や暴力じゃないまでも身体が強い人間の方が良い世界がくるのだろう。


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