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暇人の興味があること

先日、自分はキャリア向上みたいな所から降りたのに、つい癖で理想やら目標やら生産性やらそういったものに支配されていることに気づいた。
そして、もうそんなモノは自分にとってはどうでも良いんだと自分を学習させている。
そうなってくると、YouTubeでちらっと興味を持った動画を延々と見ていても気にならなくなってきた。

やはり、AIから「お前はこれが好きなんだろう」と提示される動画を延々と見ていると、少しでも自分を向上させたいという観点からすると堕落に思えてしまう。
しかし、自分の向上なんてモノはもう一ミリも興味がないんだ、と自覚したら気にならないのだ。

別に人生なんて死ぬまでの暇つぶし。
やることがなくてどうしようなんて悩んでいるより、AIが教えてくれた僕の興味のあることを見ていた方が良い。
その時間で勉強できたとか、もっと有効活用できたとか、そんなのはどうでも良くなってきた。
オススメされた動画を見ていたら時間が潰せたなんて、最高じゃないか。
もっとやりたい事が出来たら、動画を見るのを止めてそれをやれば良いわけだし。

比較対象として、書籍とYouTubeが上がることが多い。
まだ慣れていないので、一般的な価値観として、YouTubeよりは読書の方が有意義に思えてしまう。
なので、YouTubeばかり見ていると、もっと本を読んだ方が良いなどと思うのだ。
しかし、別に時間を消化するという観点ではどっちだって一緒だ。
読んでいる本だって、引退した後の生活エッセイみたいなのを読んでいるだけなので、別に読もうが読むまいがどっちでも良いし。

動画を見たければ見れば良いし、本を読みたければ読めば良い。
今この文章を書いていてちょっと思ったのは、本はそれに集中しないといけないので、動画を見ている時はストレッチでもしながら見ようかな、という程度だ。
これも有意義主義に支配されているかもしれないが、まぁ、時間を潰しながら健康になれるなら一石二鳥で良いだろう。

時間を潰すツールとして、自分にはYouTubeと書籍が合っている。
その上で、どういった傾向があるのかを洗い出してみたい。

・芸人のYouTube CH
・哲学(自分に関連しそうなもの)
・隠居的な生活
・投資、お金の話
・新NISA
・都市伝説、SF的な仮説
・脳科学
・作品の解説動画

この最近見ているコンテンツとしては、こんな所だ。
単に娯楽として見ているものもあるが、知識欲だったり、他の人の考えなどを知りたいという欲求が強い気がする。
ただ、知識として分かったらそこで満足してしまうものも多く、その知識を使って何かしたいみたいな欲求は薄い。

動画や書籍を積んではいるものの、例えば今すぐ死んだとしても特に後悔はない。
余命を宣告されたとしても、仕事はすぐに辞めるが、趣味としては優先順位を変えるような事はない気がする。
生き急いで知りたいような事もない。

自分が知った事を誰かに伝えたいという欲求もないように思う。
Noteを書いてはいるものの、これは誰かに何かを伝えたいというよりは、自分の考えを整理しているのに近い。
Noteについては、自分の中で考えを整理したいテーマのタイトルだけあって、「今日はこのテーマについて整理しようかな」とピックアップして書いている。

特にそのタイトルについて、台本や流れなどはまったく用意していない。
単に、そのタイトルから思いつくことをツラツラ書いていっている感覚だ。
だから、自分でもこれから何を書くか分からない。
適当に思いつくままに書いていって、筆が止まり始めたり、Google Docでそれなりの分量になったら区切りをつけてやめている。

今回だと「暇人の興味があること」というのが先にメモとしてあった。
多分メモしたきっかけとしては、自分が今何に興味があるのかを整理したかったのだろう。
そして、思いつくままに書いている。
今回だと興味対象自体の前に、興味があるフォーマット(動画、書籍)を洗い出している。
その上で、本来関連が深そうな「興味があること」をざっと書いているようだ。

タイトル的にはそこで終わりそうなものだけど、まさに今書いているように「知識欲はあるけど、それを誰かに伝えたいと思っていない」と言う素直な感覚があったので、それを記述した。
そこから派生して思いつくことを書いており、そして、まさに今書いているようなメタ的な視点で、それについて語っている。

要は、繰り返しにはなるが伝えたい事があって書いているのではなくて、自分の考えを整理する過程をそのまま投稿しているような感じだ。
目的が自分の考えの整理なので、基本的に書いた内容は添削などをせずにそのまま投稿している。
ちなみに、自分で書いた文章をたまーに後から見直すことはあって、その際に誤字脱字などは直したりしている。
一応、Google Docで書いているので誤字脱字っぽい所は指摘が入るから、そういったものは都度直している。

誰かのために書いていないのに、なぜNoteに投稿するのか? というのは、なぜだろう。
これが何かしらに繋がる可能性があるかもな、というのは思っている。
ただ、繋がらなくても良いし、繋がらなくても生きられる人生設計はしているので、あまり影響はなさそうだ。
やはり、あくまで自分の考えを素直に整理するという部分が大きい。

こんな事を言うのもなんだが、今やっている事は、自分なりに哲学していると思っている。
汎用的な哲学ではなく、自分にとっての哲学だ。
今まさにこの文章に書いているような事を考え、それを自分で読むことでまた考えを深める。
それを繰り返して、自分なりの哲学を補強していく。
時には読み返したり、歩んでいくうちに変遷したりするのを見て、さらに考える。
そういうのが好きなんだろう。
当然報酬もないし、誰から求められている訳でもないのに続けられている。

生産性とか有意義とかを無視したら、残ったものは今日書いたような内容だった。
このループは、結構飽きずに続けられる気がするので、楽しいうちは続けていくつもりだ。


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