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ホースセラピーの良いところは、言語を介さないこと。

りあです。今日は満月ですね、ストロベリームーンというのだそう。なんだかかわいい。ちなみに私はラズベリーとブルーベリー派。ごめんねストロベリー。

今日はあれこれと作業をしたり、自分のやりたいことを振り返ったり、これからやっていきたいことを考えたり。アウトプットが多い一日。

その思考の中で、「やっぱりホースセラピーっていいよね、いつの間にか落ち着くし」と改めて思ったので、ちょっとそれを書こうと思う。

突然ですが、質問。あなたはカウンセラーと話したことはありますか?
カウンセラーと話して、解決しましたか?すっきりしましたか?

私は中学校から高校にかけて、まぁ大変でした。摂食障害のために休学風味な学生生活だったし、体力が常に枯渇していたので保健室登校だったし。学校の方針と先生方々が素晴らしく優しかったおかげで、私は卒業できたようなものです。感謝。

そんな超問題児(?)だった私は、スクールカウンセラーに会うことを予定されたんですよ。摂食障害は心の不調から発症することもありますし。理由は人それぞれですがね。

当時の私は、とんでもなく言語化が苦手だった。というか感情がよく分かっていなかった。感情へのラベリングができていなくて、どういった心の動きが感情なのかも分かっていなくて。

私の感情のラベリングは、今でも超雑…いやいや、分かりやすいんですよ。「わぁ、快感情」と「わぁ、不快感情」みたいな。それ以外は「おお…まぁいっか」みたいな。雑ですねぇ(笑)

今でもその程度なんですよ、当時の私のひどさはお分かりいただけるでしょう。ほぼ同程度かそれ以下。

そんな私に、スクールカウンセラーは優しーくやさーしく問いかけてくる。「あなたの気持ちを教えて?」「それで、どう感じた?」「そのとき、どんな気持ちになったの?」

無言になれば、背中をさすってくる。さぁ落ち着いて、ゆっくり話してくれたら大丈夫、みたいな。

まさか問われている学生が「やっばい、気持ちとかどうやって分かればいいのか…」「え、気持ち…気持ち??」と悩みまくっているとは知らないことでしょう彼女は。

(受けたことはありませんが)拷問のような時間だったんですよね、私にとって。言葉にできない自分にも嫌気がさすし、自分の気持ちが分からない自分ってなんなんだって混乱するし。

多分、当時の私に別の方法を用いて気持ちを表現させていたら、違った結果になったのかもしれない。絵を描かせるとかね。幼児といっても良いくらいの、子ども向けの対応をすればよかったのかも(笑)

私は当時の記憶が薄っすらしか持っていません。多分摂食障害による脳機能の低下や、人間の持つ「記憶を思い出さないようにする」という防衛反応などが影響していることでしょう。

しかしながら、痛烈に覚えている想いがある(痛覚ないからでしょうか、痛烈って言葉に「なんかすごい『どぉぉん!』ってした気持ちが含まれているっぽい言葉」という謎の憧れを持ちます私は)。

「心を言葉で分かるわけないじゃない」という想い。

言葉なんて、人それぞれの定義によるじゃないですか。同じ言葉だって、受け取り方は人それぞれじゃないですか。私にとっての「悲しい」が、誰かにとっての「悲しい」と同程度であるか、同じ感情を指しているのか、それは正解がないうえに確認のしようもないのです。

まぁ、だからこそ人は言葉を重ねて重ねて、相互理解を図るわけなのですが。だからこそ人は対象者を深く知ろうとして、「この人がそう言うってことは…」と個々人に合わせた分析等を行うわけですが。

「心を言葉で分かるわけないじゃない」という想いがあるからこそ、ホースセラピーに行きついたのだと思う。心理学科であれこれ学んだけれど、理論を理解しても「芸術療法か、アニマルセラピーか、アロマセラピーか。五感を動かすこと、言葉を使わないことが人の心を癒す」と今でも思っています。

馬は人を直接癒しません。優しい言葉も人間にかけません。彼らは「癒してあげよう」という意図を持ちません。そもそも「うっわこの人メンタルやっばーい」とか考えません。メンタル病んでいようが鋼のメンタルだろうが人間をジャッジもしません。

それでも、古くから人は馬(や他の動物)に癒されて、心を救われてきたわけです。ある人は「必死に生きている馬を見て、自分も生きようと思った」と言ったり。ある人は「彼らの体温を感じて、お世話をすることで、自分の存在意義を見つけた」と言ったり。

人間の都合の良い、勝手な解釈のもと成り立っているのかもしれない。けれど、それでもいいじゃないですか。少なくとも、馬(もしくは他の動物)によって、心が救われる人が確かにいるのですから。

言語化することが、最近は重視されるようになったと感じます。言語化できる人がすごい。言語化できないと、自分の理想も描けない。とかね。

しかしながら、言語化することで規制を設けてしまう、とも私は思う。言葉には定義があって、言葉にするということは、「〇〇ということだ」と認識させ確定させることにもつながるわけです。一旦言葉にしてしまうと、自分の思い込みにだってなるかもしれないのです。気持ちに名前をつけてしまったばかりに。

それに、名前を付けられない気持ちだって、無駄なものじゃないんです。名前を付けられない気持ちをそのままにしていてもいいじゃないですか。

まぁ、そんなこんなで。私は言語化しない、言葉を用いない心の癒しこそ、これから大事になるんじゃないかなぁ。なんて思っています。

五感が心を落ち着けるものに満たされ、なんだかよく分からない草ばっかり食べているやたらデカい草食獣といるとほっとする。「何悩んでたんだっけ…」とどうでもよくなる。それって、素敵なことじゃないですか?

人によるとも思うけれど、ホースセラピーっていいですよ。ちなみにホースセラピーは英語じゃないです。英語でホースセラピーと言いたいのなら、Equine Therapyなどと言いましょう。ググるときは、こちらの単語をお使いくださいませ。

急速にバーチャル化・デジタル化が進んでいるからこそ、古くからの友である犬や猫、馬といった動物たちとのアナログなお付き合いが必要なんじゃないでしょうか。なんだかんだ言って、人間も動物なので。

Have a relaxing day.

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