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幸せの折衷案。無し。

 442回目です。φです。

 今日も読書して、それから急にやりたくなったSPI問題集を解いていました(笑)

 ちょっと前に「難しいかな」と思っていた仕事にまた興味を持ったので、「勉強していて損はないよね!そうだSPIで頭動かそう」「楽しー!」みたいな流れで勉強していました。

 問題集解くってすごく楽しくないですか?私は難易度がそこまで高くない問題を解くのが好きなのです。高校レベルくらいが楽しめるかなぁ。どうだろう。

 久しぶりにやってみたけれど、地味に気になったものは調べたり、計算を考えてみたり、とやっていた日々だからか、意外に公式とか覚えていました。SPI。

 「大学の頃は難しくて、『なにこれ理論が分からない』とか思っていたのになぁ」と放置していた範囲も、なぜかつまずくことなく解けていたり。不思議ですね。

 哲学の文章があまりにも複雑で、それをどうにか考えよう、理解しようと頭を動かしていたことが柔軟にさせたのかな、私の脳を…カント哲学とか、ほんと意味分からないときありますし。ごめんねカントさーん!

 算数系の考えって、シンプルに考えたら簡単みたいですね。言葉の規則を知れば、ある程度のパターンに当てはめるだけだし。数学ではないものに対しては、「このタイプの質問なら、Aの解決法を用いる」みたいにした方が楽みたい。やたらと捻って捉えていたんだろうなぁ私。本人がひねくれているからかもですが!

 思い返せば、数学・論理学・哲学・古文・現代文、どれもこれも質問しに行っては「まぁその考えだったらそうなるけれど…」と先生方の腕をひねっていたものです。納得いかないから質問しに行ったのですが、なかなかの方向からの質問だったらしいし。反則ぎりぎりの方向で考えていたのかな私(笑)

 さて、そんな楽しいSPIの時間にも、部屋に母親が入ってきて本日分の苛立ちを怒鳴るように話していました私に。「人のやっていることを中断させる人は嫌い!あり得ない!」と言っているこの方、ご自身は…ねぇ…。

 中断されて、耳と聴覚野死にそうになりながら考えたことについて、書いていこうと思う。お互いの幸せを追求することができないことってあると思うのです。


 私が「SPIをやろうと思った、自分には難しいと思っていた仕事」は、なぜ私が難しいと思ったかと言うと「数年に1回は転勤しなければならない」条件があるからです。

 当時から定期的に通院していたし、自分がどこの病院でも受け入れられる患者ではないということは知っていました。お医者さんでも知らないような病名の持ち主だもの(笑)

 基本的には、総合病院しか受け入れられません。私。小さな怪我は個人経営のクリニックで済ませているけれど。しかしながら、各科の連携が必要なことが多いのが私の状態です。面倒だね!

 そういった状態の私なので、1か月に1回は必ず総合病院(A)のお世話になっています。半年に1回は別の総合病院(B)に。なぜ分けているかと言うと、先天性無痛無汗症の認定医が総合病院(B)にしかいないから。

 そして1年に1回は総合病院(A)に行く。

 個人の病院には、障碍者の手帳のために行ったり。すごいでしょ。めちゃくちゃ面倒なんです。なんだか年中病院行っている感じです。最近「新年もよろしく!」「メリークリスマス!」「来年もよろしく」は病院で使っている言葉のような気がします(笑)

 さて、そんな私です。転勤したら病院探しに一苦労です。多分。カルテ送ることができても、どうなのかなぁ。引き継ぎって上手くいかないものですし。そんな私が、なぜ再び転勤が確実な仕事を選ぼうとしているか。

 転勤し続けた方が、この毒親とは、家族とは離れることができるのでは、と思ったからです。転勤=彼らから逃げ続けること、のような気がしてきた。実家から通う仕事は無理だ、いつでも彼らがやってこれる位置に定住するのは無理だ、と思った。

 色々と考えました。どうすれば今後の状況を楽観的に考える要素を見つけられるか。ですが、結局私は彼らとは「共存できないお互いの幸せ」があって、自分の幸せを優先するとしたら、転勤という合法的な逃亡しかないと気づいた。

 どんなに思考を重ねても、幸せになるには、お互いの幸せの方向性がお互いの折衷案にならない。片方は幸せで、片方は不幸で。どちらかが必ず幸せにはならない。

 価値観そのものが異なるからこそ、どうやっても根本的なズレからの発展が異なるんですよね。正反対な感じ。

 話し合えば分かる、と彼らは言うけれど、私がいくら話しても「それは自分のためにならない」から始まり、最終的には「それは自分が嫌だ」に終わる。話し合って解決することって、本当に難しいし、私は彼らとは話し合うことで解決できることはないと思う。残念だけど。

 母親は、母親の小学生からの友人が自分の息子さん(当時大学生)に会いに、毎月新幹線で3時間以上かけ続けたことを引いた感じに話していました。社会人となった息子さんに会いに、そして彼の衣食住の世話をしに、ほぼ毎月車で県をいくつか超えていることを引いた感じに今はなしています。私に。

 正直、私には関係のないことなのですがね…母親の友人の子ども、って…見たこともないよ…。

 さて、そんな感じに引いて若干の非難をしている母親ですが、私が社会人になったとき、毎日私の家(実家と同じ県内)に来ては夕食を食べ、23時くらいまでテレビを見ていました。テレビを見ながら文句を言っていました。3週間くらいずっと。

 …お分かりいただけだろうか…どっちの方が人が引く状況でしょうか…。

 その経験があるからこそ、彼らから離れて容易には来ることができない場所に生きるしかないのだと気づいた。それ以外に物理的に離れることができる方法がないと私は思う。

 一番は精神的に離れたいけどね!まずは物理的にはなれなければ、と私は思う。物理的に近いからこそ、なんでも簡単にしてしまう。文句を言うのも、愚痴を聴かせるのも、何をするにも一緒にさせるのも。

 親だろうが、家族だろうが、親族だろうが、友人だろうが。別の個体です。自分の幸せを追求することに罪はありません。お互いに傷つけたり、悲しませたり、責任を負わせたりしない限り、自分の幸せを追求しても良いと私は思う。

 幸せを追求するときに、自分が幸せになれない理由を作っている存在があるのなら、何かしらの方法で解決していいと私は思う。逃げるのもひとつの方法。…あ、犯罪だけはだめですよー!合法的に!新聞やニュースで有名人にならないことが基本です!

 私は親から離れたい。毎日聴かされる愚痴に文句、家中に響く怒鳴り声に似た大声、リビングにいるだけで嫌がる様子を見せられる、騒音がやまない、気分次第で振り回される。それを解決するには、私の幸せのためには、家を出て彼らから離れなければなりません。

 親は反対。私が家から出ることはあり得ないと思っている。娘だから手元に置いておくのは当然、親と暮らすことが安全、親同士の不満を解決するのが子ども、親といることが子どもの幸せ、自分たち無しに子どもは生きることができない。ちなみに、祖母からは「自分の老後を見るのが当然だ」と小学生低学年の頃怒鳴られました。わぉ。強烈なトラウマ過ぎて覚えてるよ私でも。

 この価値観の差を埋める日はきっと来ない。何度も一人暮らしのときに話したけど、「じゃあ毎日電話する・1週間に1回は実家に帰る・メールを送ったらすぐ返す・…を守って」ということになり、ほぼ誓約書的なものを渡された。ひどい一人暮らしだった。自分の家に帰っても待ち受けていたのは母親だった。それから愚痴だった。

 そんな私の歴史(?)を考えると、転勤し続けるしかない、と思う。通院はしないといけないだろうけど、私の病気に解決策はない。ある程度生存確認をして、カルテを持ち歩けば何とかなる。良くも悪くも、変わることがない病気だから。病院の腕は関係ないのです(笑)

 それが最善の仕事なのかもな、と思う。まぁ試験を受けないといけないし、確実な未来ではないけれども。とりあえず、自分にとって幸せをつかめるためにはどうするか、を考える機会ができた。解決するには逃亡。それしか浮かばない。

 正直なことろ、「お互いの」幸せの追求ではないだろう。親にとっては私の幸せは、彼らの不幸でもあるのだろう。けれど、いつかは離れる関係です。親と子どもは、いつまでも共存するものじゃない。私はそう思う。お互いに道があって、自立したら別れていくもの。それが人間の成長だと思う。

 私は逃げるよりも追う方が好きなのだけどね!一応は逃げ足も速いし、これは戦略的逃亡だ、完全な逃げではない!(笑)

 こんなことを唐突に思い浮かぶほどには、私は毎日毎日の大きな声の愚痴と文句に疲労しているのだろう。誰かが自分の部屋の前に来た足音に、息を潜めるのが身についてしまったし。感覚過敏も悪化中。うん、よろしくないね!

 自分の幸せを追求せずに、どうやって自分を幸せにするのか。ふと考えてた。大きな声の頭を直接打ち付けられるような感覚の中。

 幸せになりましょ、幸せにならないと、自分の心って簡単に壊れてしまいます。誰かに押し付けられた幸せは、きっと自分の幸せにはならないと思う。

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