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これって、”普通”?

 451回目です。φです。

 今日から開始だそうですね、GoToTravelキャンペーン。どうなることでしょう…観光に関わる方々も今日キャンペーンについて説明を受けたとか、なんとか。

 みなさんはどこかに行くご予定がありますか?私はないですね~(笑)

 ロシア語と英語の勉強、仕事に関して情報収集、今後のことを考える。そんな期間になりそうです、この4連休。

 旅行して経済回したい気持ちはあるのだけれど、人混みが苦手なもので…連休終わって、少し落ち着いてから計画立てようかなぁ。いつになることやら、とも思うけれども(笑)

 行きたい場所はたくさんある。国内も国外も。数的には国内が多いのだけども。北は北海道、南は沖縄まで行きたい場所があります。馬目当てが理由。在来馬を探して日本縦断とか面白そうでしょ~!

 仕事体験旅にも出たい。こんなに「したい」が頭の中にあふれている状況って珍しいなぁ、と私は私自身を思います。「したい」けれど「できない」ということも、頭の中にあふれさせる理由なのかもしれないけれど。

 さて、今日は「したい」を考えていました。なぜ、って、現実逃避するためですね!最近多いね!

 普通ってなんだろうなぁ、と思う。私は連日害を与えるようなことは何もしていないのに、怒鳴られることって普通じゃないよね、って信じたい。


 本人にとっては「怒鳴っていない」と怒鳴るように言い張るのだから、解決策はないと私は思っています。私は聴覚過敏だから「怒鳴るように」聴こえるのかもしれないけれど、声が大きいことは事実だし、怒鳴っているか否か、という判断は相手次第だと思う。

 今日は朝から。母親は自分の父親(つまりは私の祖父)から「用事済ますの忘れてた。昨日も呼んだけど今日も来て。」という電話があったらしく、私の部屋に怒鳴り込んできました。開口一番に「意味分かんない!イラつく!」って…そんなご挨拶、私は習ったことはありませんねー。

 それから、罵詈雑言の30分弱。頭に直接言葉が押し込まれる感じ。耳も耳鳴りがしてきて、思わず塞ごうかと思ったくらい。馬や犬だったら耳後ろに倒してるよ!一応は人間の私にはできないけど!

 人間、怒りを感じたときの発散法として大きく分けて2種類あると私は思います。1つは自分でどうにかする。もう1つは人に言う。

 私は前者です。私自身が怒りを感じてそれを誰かに言っても、解決しないからです。怒りの原因となった本人に訴えるのならまだしも、全くもって無関係な人に怒りをぶつけても意味がない。ただの迷惑にすぎないと私は思う。自分が感じたエネルギー量と同じエネルギー量の怒りをただ感情のままにぶつけるならね。

 私が怒りを人に言うときは、基本的には怒ってから自分で気持ちを静めて、「〇〇で猛烈に怒りのパワーが…」などなど、過去形として話す。私にもまだ怒るエネルギーあったよ~わぉ、みたいな謎の視点が多い感じだと思う。直接言葉で伝えるときは。

 怒りを伝えられても、困りませんか?私は困る。どっちかというと「…うわぁ」みたいに引いてしまう。状況と内容にもよるけれども。

 確か、私が小さいとき。嫌になったことをそのままのパワーで伝えたことがありました。母親に。そうしたら「自分の気持ちくらい自分でどうにかしなさい!そんなの知らない!」と怒られましたねぇ。こういう「嫌な」記憶程残るのだから、人間って面倒だなぁと思います(笑)

 まぁ嫌な記憶程残るのは、生存本能によるものらしい。嫌なこと=生命の危機、として脳で処理されるから、覚える。なかなか忘れない。忘れたくてもね!

 そんな怒っても自分で気持ちを静める私に対して、母親は「人に言う」ようで。あれ、昔私が言われたことって…まぁいいや、お口ミッフィーにしておきましょう。

 母親は怒ったらすぐに私にそのままのエネルギー量で言う。怒鳴っているうちにヒートアップする。ちょっとしたきっかけがあるたびに、変わらないエネルギー量の怒りを爆発させる。解決はしないのです。感情が感情のままだから。だと私は思う。

 「とりあえず声小さくして」、と言ってもまぁ数秒後には元通りだし、「じゃあ〇〇したらいいじゃない」と言っても「それを言っても絶対××ってなるに違いない!」と、まぁすべての提案は却下される。そして怒りの矛先は私に向かう。えー理不尽ー。

 そういって日々が続いて、なんだかさくっと思い出しても毎日記憶にあります。毎日毎日自分が知らないことで怒鳴られて、愚痴文句を聴かされて、母親がどれほど素晴らしいことをしているかを聴かされて、それに称賛しなければ機嫌を損なう。なんでしょうね。給料もらえるのならリップサービスくらいするけど、無休かつ無給じゃ割に合わない(笑)

 いわゆる幼児語も使いだすし、寒さは分からない感じの私であっても「心の寒気だなこれは!」と自信満々に思うくらいに全身をもって鳥肌です。内臓も鳥肌だよ多分。臓器に皮膚ないけど。

 私は外出した時、子どもに怒鳴る親を見てびっくりします。すごい大きな声だから。なんて言ったかは分からない、けれど驚く。怒鳴っても解決しないのに、何も変わらないのに、と思う。それを見て母親も「怒鳴らなくてもいいのにね」と言った。

 けれど、家で私は同じような状況じゃないか、と思う。めちゃくちゃ大きな声じゃないと思う。その外出した時に見た親子と比較すると。それでも、大きい声には違いがないのです。「怒鳴らなくてもいいのにね」、の言葉がなんて意味がないんだろうなぁ、と思います。怒鳴らなくてもいいのにね。自分の感情を伝えるくらい。

 そんな母親ですが、「面白くもない話しないでほしい」と毎日言います。私の父親の話がつまらないらしい。確かにつまらないと私も思うけどさ。セクハラ気味だし。急に怒るし。不機嫌になるし。馬鹿にしてくるしね。

 それでも、「面白くもない話」を伝えるのはどうなのかなぁ、と思う。私にとっては、「面白くもない話」+「怒鳴り声」+「怒りの感情」です。これこそ面白くもないじゃない。

 「嫌だ!」と思うことは誰にでもある。私もある。今書いている今日の出来事は「嫌だ!」なことでもあるし。まぁその「嫌だ!」の原因を分析したことでもあるけれども。

 誰にでもあるけれど、それをそのままの状態でぶつけるのは良くないと私は思う。解決するのならまだしも。怒りに対する処理の仕方や価値観が異なるから、きっと同じ方向を向いて話すことはないのだろうけれどね。

 怒りを目の前にして、心を無にして観察・分析をしてしまいました。私の癖ですね、アルカイックスマイルで「わぉこれは普通だとしてしまったら私の価値観狂うわ~そうだ分析しようそうしよう」と現実逃避していました。よかったぁサングラスつけてて。私の目は確実に笑ってないもの(笑)

 毒親持ちの方々、自分が置かれている状況に慣れてしまって、それを当然と思ってしまってはいけないと私は思います。自分が悲しくて、耐えないといけなくて、苦しくて、逃げ出したい、そんな環境は”普通”じゃないのです。私はそう思う。私自身、”普通”が分からないけれど。でも、これは”普通”じゃないと思う。

 さて、分析と観察していたら今日も「さーて幸せになるぞー逃亡するぞー」と勇気が湧きました。湧きすぎてナイアガラの滝だよ。イメージ。

 自分の人生は自分を幸せにする旅だ、と私は信じよう。自分次第で、きっと変わるはず。

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