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未来のための力と若者。

583回目です。φです。

環境問題への意識について思うこと。私がこう思うのは、きっと自分の小さな世界で見ているから。広い視野で見たら、違うのだろう。そう願って書きます。

私の周りにいる年齢的には後期高齢者に当てはまる人たち。そして私の親。彼らを見ていると、環境への意識が高いのって若者の方が多いように思える。私の周りにいる、という前提があるから、きっと限られた集団で、ある程度の価値観が共有されていて、だからこそ環境への意識も似たもの担っているのだとは思うけどね。

彼らは食事のたびに言います。赤身肉を食べて元気になる、と。赤身肉を食べたらタンパク質で健康になれる。テレビで言ってた、病院の先生から言われた、みんな言ってる。要するに、自分の健康のために赤身肉を食べる。

私はテレビを見ません。自分が気になるものだけ録画して見るくらい。時々noteにも書いている歴史物だったり、世界の旅に関するものだったり。それ以外には、天気予報のニュースを10分見るかなぁというくらい。だから、今高齢者が見る番組が何を言っているかは知りません。けれども、周りの声を聞く限り健康に関する情報を流していて、それは赤身肉を推進するもの。ということだけは知っている。

私が見ているニュースは、BBCが多い。イギリスのニュースです。それでは、肉は控えましょう、という意見の方が多い。まぁ国が違って、基準となる肉の消費量も異なるから、肉メインの食事な彼らは減らす必要があるのだと思う。

けれど、肉を控えましょう、の理由はひとつじゃない。健康のためだけじゃなくて、動物のため、環境のため。肉牛を育てることで発生する環境へのリスクはすさまじい。肉牛の飼育スペース、彼らの餌、水、メタンガス。また彼らが肉となってからも、輸出入のためにガソリンが使われる。資源が使われまくっているわけです。

それらを減らすためにも、肉は控えましょう、ということ。人間のためだけでも、動物愛護としての牛のためだけでもない。環境のためでもある。さくっというと、肉食を控えたら良い結果が生まれる。だから控えましょう。ということ。人間だけが主体ではないのです。

一方で、過剰な動物愛護もあるのだけれども。それが様々な問題にもなっている。それは否定できない。それが本当に悪いことなのか、そこまで悪くないのか、良い悪いの基準では考えられないのか、それは私には判断できない。色々な意見があると思う。

食事に関しても、世界の流れとは逆行している私の周りの人々。代用肉のことを伝えると、「まずそう、そんな肉食べたくない」「気持ち悪い」「肉だからおいしいんだ」とのこと。やっぱり、環境じゃなくて自分が主体なんだなぁと思う。その代用肉を選ぶことで何が改善されるか、という視点はいまいち彼らには見られない。なんというか、これがとある集団と私のギャップなんだろうなぁと思う。

私はヴィーガンでもないし、ベジタリアンでもない。けれども環境に対しては色々と配慮したい。自分でできるエコは見つけて実行するし、本格的に代用肉の産業が栄えて、簡単に代用肉が手に入るのなら代用肉を選ぶ。今は手に入りづらいし、コスト的にもちょっと難しい。私は最低限の肉、鶏肉だけを食べている。それ以外の肉は食べないなぁ。魚と大豆、粉末のプロテイン。それで栄養は補えるし。できるだけ肉食は控えている。野菜も地元のものを選んで、それなりに買い物で環境には気を使っている。

どちらかと言えば、私の周りの自分に近い世代もその傾向がある。まぁ私の知り合いだから、そういった価値観を共有しているのだとは思う。私が先程例を挙げた集団とは、真逆の集団なのだろうと思う。環境への配慮があって、未来のために選択をしている。

前提があったとしても、環境への意識が高いのは若者だと思う。とは言っても、私も路上にごみを捨てる若者だって見たことがあるし、一概には言えないのだけどね。路上をごみ捨て場だと見なしているのは、年齢を問わないとは思う。どの世代の人だって見てきたし。一番少ないのは、子どもだと思う。彼らが投げ捨てているのを私は見たことがない。大人たちの方がマナーが悪いときだってある。大人は子どもたちを見習うべきかもしれない。

色々と考えてみて、やっぱり「これから先」を生きるという考えがあるからこそ、若者の方が未来のために考えるのだと思う。10年後だけじゃなくて、20年後、30年後、40年後に50年後、それ以上。若者は生きる。この地球を。年々異常気象と言われる地球を。自分たちが行動を起こさなければ、自分たちが過酷な環境で生きなければならないから。

そういったある種の危機感が、若者に環境への配慮を考えさせるのかもしれない。私は自分の未来というよりも、次世代に渡すためには少しでも良いものを、という意識がある。利己的かもしれない、けれども「あの世代のせいで」とは言われたくはない。

今、日本を引っ張っているのは若者とは言えない。国会の様子を見ていても、テレビで総会とかを見ていても、ネットで調べ物をしていても。画面にでてくる人たちは大体若者以外。だからこそ「若手」という名前が重宝される。若手が少ないから、若手と言う名前は素晴らしいステッカーになる。若手が多く活躍しているのなら、そのステッカーに価値はそこまでないだろう。

未来のためには若者の力や考え方、未来を見る視野が必要だと思う。そして未来を生きるという危機感も。今、若者は引っ張られることで疲れていると思う。恩恵を受けることが少ないしね。

これからのことを考えるのなら、これからを生きる人の力が必要だ。環境にしろ、労働にしろ。新しいものを作るために、新しい力が求められる、そんな国になってほしい。そう思いました。


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