聴覚情報処理障害と声の雰囲気。
381回目です。φです。
不眠な日々が続いているのですが、継続中です!不眠はだめですね、良いことはひとつもありません。
ほんと、寝ているときくらい聴覚のスイッチ切りたい。私が寝ているのだから、耳も寝てほしいものです(笑)
耳栓付けたら違和感で眠れないし、アラームは聞こえにくくなるだろうし。なんというか、不便なものです。
フィンランドのホテル、本当に無音で良かったなぁ…快適な睡眠を求めて飛行機で飛んでいきたいくらい。静かな環境って本当に素晴らしいと思います。真っ暗だし、車も通らない場所だったなぁ。
さて、今日は聴覚情報処理障害のことを書いていこうと思います。「言葉としては聞き取れないけど、音は聞こえる」って、不便だなぁって。
私は「言葉としては聞き取れないけど、音は聞こえる」ではない状態を知りません。生まれたときからずっとこれだったし、カクテルパーティー現象なんて起こりません。「名前を呼んだのに!」は小さい頃から何回も言われたことがあります。
あ、余談ですが先日「今から言う文章をメールに書いて」という無茶ぶりをされまして…母親にですが。
「私苦手」と言ったのですがスマホを渡され。ものすごーく急ぐ理由もないメールを書くことになりました。話す速度で長文を言われ…。私は一単語ごとに聞き返すし、その単語も聞き取れないことの方が多い。
色々と言われましたともー!「だから、〇〇だって」とか、速度変えずに怒ったように言われたり。いやぁ悲劇。一周回って喜劇。
何この「ボールが拾えません!」「何回もやればできる!」みたいな、熱血指導にありそうな状況。面白過ぎる。と、思っちゃうくらい。心の中の私はテニスコートにいましたとも(笑)
そのくらい、慣れた人の声だって聞き返します。聞こえた単語も、頭の中で変換するのに手間取ります。ひとつひとつの処理をしていかないと、入力と出力がうまくいかないのです。
余談が長引いてしまいましたね!戻ろうっと。
呼ばれても注意を向けることができないし、聞き取りも苦手。今回はそれが露見して、「聞こえるだけってなかなか…悪いですねぇ」と思いました。
私の部屋の前で話がされていて、よく分からないけれど誰かがしゃべっている。声の雰囲気からして怒った感じ。こう、耳に振動が伝わってくる感じの。大きな音が聞こえたとき、表現で「びりびり」とかかれることがありますね。あんな感じ。びりびり。
なので結構な音量です。ドア一枚なんて関係ないぜ☆ってくらいの音量。
ですが、私には何を話しているのか聞き取れない。ひたすら音の大きさに不快感を覚えるだけで、「聞こえるのに聞き取れない」って嫌だなぁ、と思いました。
別の言語が目の前で話されていて、何語かもわからないし何を話しているのか見当もつかない、っていう状況。なんとなーく気になりませんか?例え自分の話じゃなくても。
「分からないし関係ないかもだけど、気になる…」みたいな。結構な音量だと特に。
聞き取れているのなら、「あ、関係ないや」で多くの人は注意を背けることができると思います。「はいこの音却下」みたいな。
人には「選択的注意」のシステムがあるので、知りたいものには注意を向けて「なになに?」とこっそりでも聴くことができます。反対に、興味がないものだと「ふーん。どうでもいいや。」といわば「なかったこと」にもできるのです。
そうじゃないと、脳の処理がパンクします。情報に溢れてしまって、処理が追い付かなくて。ぜーんぶ雑音になる。それが聴覚過敏です。
私の場合、「どうでもいいや」というものなのか、そうじゃないのか、ということすら聞き取れない。別に盗み聞きをしたいわけではないけれど、注意を払う必要のないもの、却下できるものなら却下したいものです(笑)
それすら判断できない。私の中で、その言葉は音でしかなくて、日本語でも別の国の言葉に聴こえるわけです。そのくせ、聞きたくなくても聴こえる。
で、そんななんとなーく聞こえる状況って落ち着かないものです。
メンタルに悪いなぁ、と思います。聴きたくなくても聴こえるし、何を言っているのか分からないし。分からないだらけなのに、ひたすら大きな音が聞こえる。さらにその音は言葉。
耳が悪くないだけいいじゃない。すごく耳は良いんでしょ。って言われます。ですが、耳が良いからと言って、「そうだね!」と言えるものでもないんだよなぁ。人によって考え方は色々ありますが、私は「何事も”問題がない状態”が一番だよ」と思います。
聴覚過敏も、聴覚情報処理障害も。実際にどういうものかを伝えるのが難しいので、理解を得るのも難しい。この溝が埋まるとき、お互いに生きやすい世界があることを願うばかりです。
ちょっとした工夫で変わるものがあるはず。私はそれを見つけたいし、見つけられたらシェアしたいなぁ。耳を使わないでやっていけることって少ないものですし。
ちょっと余談。
私が小学生くらいの頃も、自分の部屋の前で大声で話がされている、そういう状況がありました。両親の大声での何かの話。嫌だなぁ、と子どもながらに思ったことを覚えています。
まぁいいや、関係ないもの。と思ったのですが、数分後母親が間違えて父親に送ったメールが私に来まして。完全に私の悪口でした。あ、このこと話してたんだ…あ、そっか…へぇぇぇぇ。と(笑)
それから、なんというか大きな声の会話、ちょっと怒っている感じの声、苦手になりましたね。まぁ得意になる人はいないと思いますが!
それはちょっとしたトラウマなのだろう、と私は思います。経験から結びついた負の反応、というか。「大きな声・怒った雰囲気→自分への悪口」という刺激と反応の関係。
今では」「嫌だなぁ大きな声。落ち着かない。」と思いつつも、「ほほー私の悪口か?!出ていってやるわぁぁ!!」と思ってもいます(笑)
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