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大切な人とは?家族とは?

 413回目です。φです。

 英語して、読書して、と引き籠りモードです。今週は外出が多かったので、良い休憩になったかな?

 睡眠時間の不足を補おう!と思っていたのですが、読書していたらそんな時間なかった。本って時間を忘れさせますよね!楽しいけど時間よ戻れ!と思っちゃいます(笑)

 現実逃避もさせてくれるので、読書は良いものです。本の中の世界はたくさんあるけれど、自分が見てみたい世界を選べます。時々、自分の思った内容と違ったりするけどね!

 さて、今日はあまりにも文句を聴かされ続けたので、「大切な人ってなんだろうね…」と現実逃避しました。コロナが始まって以来、ぶつけられ続けている私の溜息と共に出てくる言葉を添えて、noteを書こうと思います。

 毎日「大切な家族」と言われても、その言葉を信じられる日は私には来なさそうです。


 大切な人ってなんでしょう。

 私にとって大切な人たちは、一緒に笑い合いたい、困っていたら助けたい、幸せを感じていてほしい、山あり谷ありの人生だったら、谷のときも山のときも同じ距離感で接したい。ずっと笑顔を失わないでほしい。失ってしまったら取り戻すまで背中を押したい。そう私が心の中で願う人たちです。

 抽象的かなぁ。利害とか関係なくて、支えて支えられて、な関係の人が、私にとっては大切な人です。

 毎日会いたい!とかではないんですよね。時々でも年に1回でも良い。会いたいときは会いたいけどさ(笑)

 心身共に健康で、自分らしく生きてほしい。楽しんでほしい。そう願うばかりです。

 例え私がどん底にいても、私は彼らを自分の気持ちの底に引きずり込みたくはないなぁ。「こんな大変なことがあるんだよ!」は言うけれど、一緒の気持ちになってほしいとは思わない。

 そう私は願うのですが、どうやら私の母親は違うようです。まぁ…それを見ている/経験している反動で、私は「自分の大切な人を自分の暗すぎる気持ちにさせたくない」と願うのかもしれない。

 私自身が悲観的だと言われるような物事に直面しても、「最後に笑うのは私!」「人生色々あるさー!」「すっ転んで泥だらけの方が人生面白くなる!」と心に決めているから、私がどん底にいても暗い気持ちにはなりにくいのかもしれないけれども。

 けれど、自分が自分の手の施しようがない事態に陥っているときこそ、誰かの笑顔って力になる。大切な人の存在で「まだまだやれるさ、生きてるもの」と思える。だからこそ、私は大切な人には笑っていてほしい、自分の暗いものに付き合わせたくない。

 大丈夫?と聞いてくれる大切な人たちに、私は「弱音吐きたいと私が思ったときは私と遊んであげて~」と言っています(笑)

 「いつでも!」と言ってくれる、とっても素敵な人たちに私は出会えたと思う。

 さてさて、私が彼らのことを思い浮かべたのは、「大切な人」とは何だろう、と思ったから。

 このところ、ずっとコロナで母親がストレスをぶつけてきます。父親の無関心さや意見・意識の違い、言い方などなど。ついでに祖母。母親にとっては姑。ある程度の割合の家族はこの状況で不和になっているのだと思います。ニュースでも目にすることが多くなりました。

 コロナ離婚、という言葉もありますしね。日頃はちょっと感じても見逃せるものが、危機的状況下では目立つのかもしれない。余裕がなくなったことで気に留まるようになったかもしれない。それか元からの危機管理能力に違いがあって、それがついに現れたのかもしれない。理由は人の数だけあるだろうと私は思います。

 私、家族と離婚できるなら離婚するね☆と思うくらいですものー。ですが、私は不平を言わないようにしている。不平を言っても人の意見は変わらないものだし、言っても時間が無駄になると思う。変わらないものは変わらないのです(笑)

 私の母親は、毎朝顔を合わせるたびに朝の父親と祖母への怒り・イライラをぶつけてくる。私が小さい頃、「そんな言葉遣いしない!」と言われたことを全部言ってるのでは?と思うような口調。内容も、それはまぁすさまじい。朝から1時間くらいは時間が私から逃げていきます。戻ってこーい時間!

 しかも、それで私が同意しなかったら、標的は私になります。「お父さんと同じこと言う!」から始まり…ははは…。同意したら、より一層話は続く。続いた後私が何かしらの同意の意見を言うと「そこまでひどい人じゃない!」とやっぱり私が悪いことになります。…あれ?

 「自分のことしか考えていないから、そう行動するんでしょうよ。」と言ったら、まさかの「昔は良い人だったんだから!」からの昔話でした。いや、私そのとき生きてすらいないからぁぁぁぁ。

 昔話をしてくる母親の両親・父親・祖母については「昔話ばっかり!過去の栄光なくせに!これだから年寄りは!」っておっしゃっていますが、ううむこれはブーメランですね。

 他人は自分の鏡、とはこういうことだろうか。私はそうならないことを祈ろう…自分ではなかなか気づけないのが、自覚の有無の恐ろしさだと思う。たくさんの価値観の人と触れ合って、自分の凝り固まった考えを柔軟にさせていこう。それ以外に、私は自分の考えに気づくことは難しいと思うから。

 さて、そんな状況の朝。正直私は嫌なので母親のいるリビングには行かず、自室で朝食を取ります。それを摂食障害だと母親から言われ、病院でひと悶着あるんですよね。あららー。

 用事がないとき、自室に私がいると部屋の中心に座り込んで、文句の再開。3時間くらいいるなぁ…毎日言っている内容って同じなのですが。「じゃあこうしたら?」という私の提案、流されているのかな。「そうだよね!」の返事だけは良いのですが。

 その座り込みに対して私が遠回しに退室するよう告げると、「誰も自分の話を聞かない」「出てけって言われた」となりまして。急に始まるネガティブ…。

 そんなことがほぼ1日。朝から昼、そして夜。LINEでも文句や愚痴がログにたくさん。

 これが文句の捌け口ってやつだろうなー私が捌け口になっているんだろうなーへー。と思います。「文句ばかり」と言うと「他に話せないから」「家族だから」「娘なんだから」。それで「大切な家族」と言う。

 家族ってなんでしょう。大切な人ってなんでしょう。大切な人にやっていいことってなんでしょう。家族とは何でもやっていいものですか?

 そんな疑問が湧きます。まぁ湧くけど、私の答えは変わらず「家族だからって何でもやっちゃだめでしょー!」ですが。だめでしょ。家族って無法地帯ですか。

 溜息と共に書いていますが、「はああああぁぁぁ知らないからー!」と途中から雄たけびに変わっています私。私だって人間だもの、どうしようもないストレスは物理的に拳に思いを込めて殴りますよ~ベッドを(笑)

 壊すのは躊躇われますから…ものを大切にしつつ私の心も大事にするために!(笑)

 さて、今大変な状況にある人はたくさんいらっしゃると思います。ですが心の支えを大切にしてください。私はみなさんの幸せを切に願います。

 明日も読書して現実逃避するぞ私はー!義輝の生涯を描いたこの一冊、700ページを読み終わるまでは私は室町の人になりきって読むんだー!!

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