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「思いやり」の抽象さ。

 459回目です。φです。

 図書館に行ったらまさかの休館日でした…朝調べて「これは読みたい!」という本があったので、地味に心をえぐります(笑)

 調べたはずなのですが、気づかなかったのかな私。本に熱中しすぎて見落としたのかも。本への愛は盲目ですので…多分ですが。

 図書館には長く滞在できない私は、事前準備して「図書館入った!閉架図書のメモをスタッフに渡す!自分で本の番号探す!発見!借りる、そして帰るー!」と猛烈な勢いです。10分以内かなぁ。滞在時間。

 長く滞在できない理由は、図書館のにおい。ちょっと独特ですよね。こもっているというか、空調のにおいが強いというか。あと眩しさ。

 おかげで目次を高速で読むスキルは身に付きました(笑)

 さて、今日はニュースを見ていて不思議に思ったことについて書こうと思います。「思いやり」って、すごく抽象的な気がする。


 最近「思いやり」という言葉をよく耳にします。思いやりをもって接するとか、まぁそういう感じに。

 新型コロナウイルスが猛威を振るう中、人同士の問題が発生しています。誰が陽性だっただの、医療従事者の子どもは学校で言われるだの、リスクが高い場所に行く方が悪いだの。それって感情で判断しているだけで、本当にそうかどうかは分からないよね?ということも問題になっていると私は思います。

 人同士の問題、というか、私は医療従事者への不当な扱いがひどいと思います。命をかけて働いてくださっているのにね。自分がいつかかるか分からないという状況はほとんどの人が公平に持っているとも言えますが、最もかかる可能性が高い場所に彼らはいます。人を助けるために。本当に頭が下がります。

 そういった不当な出来事が多いからか、「思いやりを持って」とメッセージを出しているようです。テレビなどの媒体を通して。

 しかしながら、「思いやり」ってなんでしょうか。

 ちょっと気になったので調べてみました。

 goo国語辞書曰く、
1 他人の身の上や心情に心を配ること。また、その気持ち。同情。

2 想像。推察。

3 思慮。分別。

 とのこと。まぁそんな感じですよね。

 人として誰かに優しさを与えるという意味でもあるのかなぁ、と私は思います。困っている人には「思いやり」を持って手を貸すとか。「思いやり」の心をもって人に接するとか。

 「こうしたらこの人は良い方向に向かうかもしれない」みたいなのを根本にもって、行動することなんじゃないかな、と私は思っています。もしかしたら誰かの「思いやり」の考えとは異なるかもしれないけれど。

 けれど、この「思いやり」。悪い方向に向かわせてしまう言葉でもあるんじゃないかな、と思う。まぁ使い方だろうけどね。

 自分に対して〇〇してくれない!「思いやり」がない!とか。

 相手を「思いやる」なら〇〇すべきだ!とか。

 それって自分の主張を「思いやり」という言葉で隠しているだけだよね?みたいな。相手の感情を自分が良いように用いているというか、なんだろうなぁ。

 ちょっと前の「忖度」みたいなものでしょうか。本当の意味は素晴らしいものであるのに、それが悪い方向に使われてしまっているというか。

 言葉も道具のひとつです。悪用しようと思えば容易に悪用できるし、正しく使おうと思えば正しく機能する。要は使い方、使う人の良心に任せるしかないのです。

 今世の中で叫ばれている「思いやり」はきっと良い意味での使われ方だろう。誰かを助けるための、誰かに手を差し出すための、「思いやり」なのだから。

 しかしながら、これが「他の人を『思いやる』ために、感染リスクが高い人は差別しろ」みたいに使われてしまうかもしれない。それは本来の「思いやり」じゃないのだけれど、人は身を守るためには盲目になります。「悪だ!」と思ったものは排除する傾向があるもの。科学的には検証できていないことでも、人は思い込みひとつでどこまでも酷いことをすることができます。

 誰もが、じゃないけどね。残念だけど、一定数はいるわけです。歴史的に見てもそれは確かだと言えるし、現在でも様々なニュースから知ってしまう。…まぁ、私の意見ですが。

 人と残酷性について、有名な実験があります。

 スタンフォード監獄実験というものです。1971年の実験なので、「古いから今の人間より倫理観が~」と思う方もいるかもですが、私の意見では「人ってそんなに賢くなってない」です(笑)

 他にも、アイヒマン実験と言われるものも有名です。ご興味ある方はぜひ~。

 これを見て「人って…嫌だなぁ…」と思うかもしれませんが、そういった可能性があること、誰でも簡単に加害者になってしまうこと、これを知ることだけでもかなり違うかと思います。

 さて、こんな人間ですが、こんな人間だからこそ社会を作って階層なんて作っちゃって、悲劇を繰り返して発展を繰り返して…という歴史があるのだと思います。発展できた理由が、人間のこの本能があるからかもしれない。

 無駄に悪知恵働くんだろうなぁ人間、と私は思っています。私だって悪知恵で生きていると思うもの(笑)

 そんな人間だから、「思いやり」という標語を掲げても、もしかしたら悪い方向に向かってしまう可能性だってある。そう書いている私だって、「思いやり」を自分の都合の良い方向に解釈しだすかもしれないのです。概念と言うのは操作しやすい。抽象的な言葉は全ての人の意思を固定できないし、ひとつにまとめることだって難しい。

 例えば「美しい」というものを誰もが同じ意味にとらえて、同じものを想像するかと言うと、それは違うかと思います。

 「思いやり」という誰かの心を信じる言葉は優雅です。けれど、この言葉は抽象的過ぎて、誰かによって悪用されるかもしれない可能性だってあるのです。

 もっと具体的なことを挙げていったらいいなじゃないかな、と思うけれど、それはそれで反発がありそう(笑)

 厳格なルールが人を良くするか、というと、それも肯定できない。ううむ、難しいですね!

 私は日本にはたくさんの抽象的な言葉で訴えかける言葉があると思います。「迷惑にならないように」とか「思いやって」とか「察して」とか。他にも日常的に「それって要するになに?」なことがあると思う。まぁ私自身に欠けたものがあるとは思うけれど…気を付けてはいるけど。難しいものは難しい。

 「思いやり」。この言葉が誰かを傷つける発端にならないことを祈ります。お互いに敬意をもって接しましょ~。

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