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歴史と戦争

 303回目です。φです。

 今日は祝日だから、多いかなぁ駅…と思っていたのですが、平日のちょっと多い時間くらいの人しかいませんでした。びっくり!

 様々なイベントは中止、延期、で開催しても人が集まらない状態だとは耳にしていましたが、ここまでとは…。

 私は主催者さんや出展者さんは大変だと思うし、損害も大きくて負担になっているとは思う。けれど、多くの人がしっかりと自衛に努めているのだろうなと思いました。

 なんというか…国の対策があんまりにも大胆なので、自分たちの身は自分たちで守らないといけない感じがあります。

 しっかりとした休養・栄養バランスの摂れた食事・心に余裕を持ちストレスを過度に溜めないこと。これに衛生面での注意をすることで、対策していかないといけないんだろうなぁ。頑張りましょ~。

 さて、今日は先日久しぶりに感じた空気がありました。それについて書こうと思います。


 私がやっているオンライン英会話で、世界平和について触れました。「どうすれば世界は平和になる?」という問いに対して、

 「お互いの悲劇的な歴史に目を向けて、理解し、二度と繰り返さないようにしなければならない。戦争を知らないからと言って、脅威すら理解できないという状況ではいけない。」と私は答えました。

 そのときの先生の言葉を、私は深く考えています。知ってはいるけれど、目を向ける機会が少ないことがあまりにもたくさんあるということに。

 「日本がフィリピンに第二次世界大戦でしたことは、私たちの歴史にとって悲劇です。」

 「たくさんの傷ついた人がいました。」

 「フィリピンには戦争の傷跡があります。」

 オンラインだけれど、そのとき場の空気が変わったように私は感じた。歴史を物語る人に出会ったときに私が感じる空気。

 それを私が初めて体験したのは、沖縄の平和学習旅行のとき。鍾乳洞に入って、そこで人が恐怖に怯えて生き抜いた場所。悲しい思い出がたくさん詰まっているであろう場所。

 そこに入った後、沖縄の方々にお話しを聞いた。沖縄では何があったのか。戦争が始まって、終わって、アメリカによる統治が始まって。白百合の像を見て、折り鶴を渡して。

 あのときの語り部をしてくれた方が生み出していた空気に似ていたと思いました。

 私はそのとき、戦争というものを見つめ直した。歴史の本に出てくる文字が文字ではなくなった瞬間でもあったかもしれない。事実を知った、そんな感じ。物語じゃなくなって。

 人間が人間の命を奪って、大切なものを壊して、焼け野原になって、戦場が確かに在ったこと。それに気づいた。

 私はその語り部の方に会う前と後で、戦争や平和について考え方が変わった。今過ごしている時間が急になくなる可能性だってあるということを知って、日常の大切さを噛み締めた。

 今回の英会話でも、あのときの空気を感じました。

 初めてあの空気を感じたときの私は、全くもって知識が少なかった。知っているのは「日本から見た戦争」だけ。それも結構に局所的な。教科書で書かれている部分だけ。

 今、私は多くの国の歴史を学んでいます。興味のある国や、その周辺国。何がどうなって、誰が指揮して、結果何が起こったのか。今も続くものは何か。何がそうさせたのか。時代と共に変わっていったものは何か。

 学生時より勉強してるかも。世界史をここまで自分が勉強するとは思いもしませんでした(笑)

 戦争を描いた映画、ドキュメンタリー番組、本。様々な媒体から学んでいます。戦争を経験した人の声をかき集めるように、私は知ろうとしています。

 そういう今の私だからこそ、フィリピンの先生の言葉はとても重く感じた。フィリピンで日本が何をしたか、頭に過るものがたくさんあるから。

 「戦争ではどの国も被害者であり、加害者だ。お互い様だ。」という言葉を耳にします。それは確かにそうかもしれない。守るため、奪うため。どちらにしても、害を加えたには変わりがない。理由はどうであっても。お互いに自分が正義だと言っても。

 物事には必ず両面がある。良い面と悪い面。どちら側から見たものかによって変わる両面。

 戦争は、特にそのことを留意しなければならないと思います。勝った負けたで、罪の重さも変わるわけではない。やったことは事実です。やられたこともまた事実です。

 しかしながら、戦争は勝ったものが正義になります。負けたものは悪です。理由を知ろうとするのなら、その見方は変わるかもしれないけれど、多くの人にとって勝者は正義で、敗者は悪です。

 戦争は一言で表すことなんてできない。関わる人の多さや多くの出来事が絡み合って生まれたものだから。

 そうは言っても、事実を知り、悔やみ、戦争があったこと、それは忘れてはいけないと思います。難しい話題で、重くて暗いものだけれど、知る意味はあると思う。知るべきだとも思う。そうしなければ、私たちは簡単に平和の尊さを忘れるだろう。

 平和が続いて、戦争が忘れられた頃に戦争が起こる。それは歴史上で多々あることです。その繰り返されてきた歴史を、私たちは絶たないと。歴史を重ねるだけじゃ、悲劇の繰り返しであることも気づけないかもしれない。

 平和を願うために、戦争を知る。大事だと思うなぁ、私は。

 けれど、知るということは難しい。感情が邪魔して、ひいきのものに味方してしまう。ひいきの国ができてしまうと、その国に関わる国を敵とみなしてしまう。そうすると、中立な視点からの考察ができなくなる。難しくなる。善と悪で考えてしまう。

 事実だけを見て、歴史を知って。は案外難しいものです。私だけかもしれないけれど!お気に入りの国が結構ある私には難しいよ!

 まぁ、ひいきで考えても悪くはないのだろうけれどね。「ひいきしている」という認識があれば、公平な判断もできるとは思います。自分の考えの傾向を知ること。それが事実を知るにあたって大切なことなのだと思う。

 …さて、今日は戦争と平和、歴史について書いた感じかなぁ。本当に色々と考えるきっかけを与えてくれるレッスンに私は出会えました。

 日本は世界から信頼されている、という認識をする人はいるかもしれない。そう伝えるテレビ番組って結構あるらしいから。けれど、それが本当かどうかは、ぜひともご自身の目で見て、知って、考えてほしいと私は思います。

 また、日本の歴史をたくさんの視点から見直して、知ってほしい。余力があれば、他の国もね!国際社会において、自国しか知らないということは自分の世界を狭めます。

 最後に。「戦争のない世界が訪れるか」、という質問があって、私はたくさんの先生の言葉を聞いたけれど、どの先生も「戦争のない世界を願う。けれどそれは難しい。」というものだった。私もそう思います。急に戦争のない世界を作ることは難しい。だからこそ、願って、少しずつでも願いに近づくことが大切だと思う。

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