見出し画像

読書。古典への第一印象の変化。

 406回目です。φです。

 猛烈に家出したい欲が高まっていまして、無意識に逃亡先を調べています。無意識のうちに表れる欲求って正直で、時にそれによって自分の心を知ることができると思います。

 家で食事準備していたら「何だ、母or父じゃないのか」とか言われる日々なので…そして言われた後にドアを騒々しく閉められて、を毎日数回繰り返しています。わぉメンタルに悪い。

 喧嘩のような声が聴こえる中で暮らす感じ。静かな環境、あなたはどこにいますか…なーんて、問いかけたくなります。多分空中に向かって問いかけていたら私ただの怪しい人だけど(笑)

 静かな環境がほしいなぁ。自然の音だけが聴こえて、「静寂」という言葉が相応しいような場所。

 私は朝、明け方の空を見るのが好きです。まだ暗い世界は穏やかで、車も少なくて。何もない時間なのかもしれない。でも私はその「何もなさ」を愛しています。

 小さい頃、よーくキャンプに行っていたのですが、キャンプ場の明け方は好きでした。早起きして、草の生えた場所をひとりで歩き回って、空気を感じる。それだけなのですが、私は最高の時間だと思っていました。今でも変わらない。

 ウェールズでも、フィンランドでも、朝5時くらいに起きてひとり楽しんだものです。ちょっとしっとりしていて、自然を一番感じられる時間だと私は思う。

 夏よりも、冬の明け方の方が私はおすすめです。冬にやってみて!と言いたいけれども、北海道や東北の場合雪でそれどころじゃないのかな…私は旅行が安全だと判断されたくらいに、日本の北へ飛んでみたいと思っています。雪不足症候群が発症してしまっていること、そして北の日本の冬の朝を見てみたい。

 からっとしているのかな。違う風だったら嬉しいし、同じ風でも面白い。

 あ、この明け方の話を私にさせると永遠と書いてしまうので、ここら辺で終わります(笑)

 さて、今日は昨日の「あらすじで読む日本の古典」の続きを読んで感じたことについて書こうと思います。


  この本の続きです。昨日は古事記~太平記まで読んだので、今回は曽我物語~雨月物語まで。読破です!

 歴史が現代に近付くにつれて、なんというか、茶目っ気が出てきたと私は感じる。茶目っ気なのかな、江戸っ子っぽいというか、ユーモラスになってきた。

 聞こえは悪いかもしれないけれど、「教養が必須じゃなくなってきた」感じさえする。庶民的になった、の方が字面がいいかな!(笑)

 例えば源氏物語とか、太平記とか。徒然草。

 なんとなーく、堅苦しいイメージなのです。私からしたらね。面白さよりも学ぶためのもの。上流階級の暮らしにお邪魔する感じ。

 しかしながら、特に好色一代男。「ちょっとぉぉ!」と言いたくなるような人が主人公なんですよね。好き勝手やっている感じの、なかなかの…なかなかの度胸の持ち主が主人公だと思う(笑)

 日本文学の堅苦しさは単にイメージだったんだ…と私は思ってしまいました。何かとすごい。いいのそれで、そのまま終わるの?!みたいな。

 この「あらすじで読む」だけで得た内容ですが、内容がはっちゃけていることがよーく分かりました。これは面白いと思う。私が当時の人じゃなくてもね!

 自分が好色一代男を全部読むかと聞かれると…ちょっと私は遠慮ですね(笑)

 好きな人は好きだと思う。これが当時の人の笑いのツボだったら、なんというかすごいなぁ…と思います。

 もうひとつ、私が「カジュアルだ」と思ったもの。「奥の細道」。

 もしかしたら、松尾芭蕉は日本初のノマドワーカーで、トラベラーなのかもしれない。かつブロガー?行く場所行く場所で歌を詠んでいくスタイル。

 松尾芭蕉の俳句って不思議ですよね。生き生きしていて、でも心をちゃんと映しているというか。まぁ私素人も素人ですが(笑)

 この「あらすじで読む日本の古典」の最初にあった万葉集や古今和歌集、これらは情緒あふれ過ぎていて「そんなたくさんの気持ちを詰め込んでたの?たった数文字に?」とびっくりしたのですが、奥の細道は違ったなぁ。

 俳句が確立されたのも、このカジュアルさかもしれない。カジュアルとは表現しても、含まれた意味や心、あるべき知識などは必要だとは思うけれども!

 文学作品は段々と「誰にでも手の届くもの」になっているように感じました。それはどの国でもそうなのかもしれない。まず文字が読めないといけないしね!市民の教養の差も小さくなってきたからこその文学なのかも。

 そうそう、日本の識字率ってすごかったみたいですね!欧米と比べると。国ごとにすべてが違うから、比較は難しいとは思うけれども。

 さて、この「あらすじで読む日本の古典」、実は「あらすじで読む日本の名著」シリーズもあるらしい。ついでに言うと、「あらすじで読む世界の名著」もある。図書館で見つけたら、読んでみようかな。

 この本、最初に序文みたいな感じに本文が書かれてあるのですが、その文の日本語の美しさに私は驚きました。なんというか、音読したら音が綺麗。

 古典なので引っ掛かりまくって読むし、「なんだっけこれ…ええと…」と高校の頃の古典の知識の残りかすを引っ張り出さないとだし、上手くいかないけれども。それでも音読すると、その音の魅力に引き込まれます。

 私、言葉の音が好きです。だからこそロシア語も勉強しているんですよね~。ぜひぜひ知らない言語もYouTubeとかで聞き流して、響きを楽しんでほしいな。そうすると、日本語の響きの優しさや独特な柔らかさに気づきます。

 あ、最初は明け方の話題で脱線し、最後は言語の話題で脱線しそうですね!そろそろ閉めよう(笑)

 時代は変わっているし、価値観もまた変わりました。けれど、変わらないものが受け継がれていて、心は似たようなものなのかも、とこの本を通して思いました。古い時代であっても、人間は人間。同じようなことを繰り返し、同じようなことが琴線に触れる。面白いものです。

 古典とか読む時間ない!興味もない!でもちょっとくらいは知っておきたい!という方はいらっしゃると思うので、この本でさらっと触れてみてください。面白い出会いがあります。

 好色一代男とか読んだら、自分の自信を失っていても「あ、こんな人いてもいいじゃない…私自信なくすことないのかも…」なーんて思うかもですよ(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?