発達障害とコントロール。
469回目です。φです。
昨晩、東京外国語大学のオンライン講義とやらの存在を知りました。なんとそこには私が習いたくて仕方がなかったロシア語の初級講座が。
それなりにお金はかかるけれど、大学の頃受けることができなかったあの思いをずっと持っている私。今こそ…!な気持ちで、受付を待っています。
まぁ、ロシアへGo!はまだまだ遠い未来のように思えるのだけれども。ばっちり備えるための準備期間として、ぜひ受けたいなぁ。
オンラインによって広がる世界もあれば、狭まる世界もあるのだと思う。人間同士の関わりは狭くなってしまったようにも私は思える。ZOOM等を通じて得た知り合い・友人、というのもあるのだとは思うけれども。
どんな世界にも裏表があるんだなぁ。どちらでもない、という基準もあるとは思うけどさ。
さてさて、若干精神的に突っ走って自爆している私から、私のASDの特徴っぽい「私」について書こうと思う。なんというか、自分でも制御って難しい。
私は0か1か、の思考回路の傾向があると思う。やるなら徹底的にやる。やらないなら完全に興味を持たない。興味がないものに対してはとことんまで興味がない。反対に、興味があるものに対しては追究する。
私は自分でも「まったく興味がないようで…」と困るほど、興味がないものには目を向けないと思う。例えば流行。
私は常に流行がある分野、ファッションや芸能をはじめとしたものはまるで覚えないし、覚える気もない。私が知っている芸能人って誰だろう、ってくらいには。テレビ番組は観ないし、映画もそこまでは観ない。ジュラシックワールドやシャーク映画は好きだけど、私にとっては生き物たちが主人公で、出演する俳優たちは「その他」でくくられる。嫌いじゃないのだけれど、興味がない。
ファッションも「自分が好きなもの」に関しては追究する。流行に関してはさっぱり…何色がトレンドなのか、どういったスタイルや着こなしが流行っているのか、なんて欠片も知らない。自分とは違う世界の話、と思っていると私は自分を推測する。
嫌い云々じゃなくて、単に興味がない。なんというか、興味がないんですよねぇ…。
反対に、興味があるものへの熱意はすごい。私自身引く。私に(笑)
馬が好きすぎて英語勉強する、空飛んで馬に乗りに行く。馬のためなら何かと我慢する。何をするわけじゃないのにやたら馬について調べるし知識を得ることに喜びを感じる。
語学に関しても文法の形を見たいがために本を漁る。特定の言語を勉強した方がいいよねと思いながらも世界に7,099ある言語のうち好きな文化圏の言語を調べようと企む。誰かの言語への愛を描いた本を読み漁る。
人体が好きでピラティスは毎日するし、調べるし、常に人間観察で「この人はここの筋肉が弱いな…」と姿勢分析をする。…うわ、なんだか変態のようなことをしていますね…まぁ誰だったかとか覚えていないのでセーフかな(笑)
色々な人と話すたびに、「職業が全く分からない」と言われます。雑学的な知識が多くて。私の職業?今はニートですね!万年求職中と言っておきたいけれども(笑)
と、自分でも「あきれるほど極端だな」と思う。自分のことを「私は〇〇な人間だ」と私は言い切りたくないし、それが主観的であると思うがために私に定義を与えたくはない。けれども、ことあるごとに「極端だ」と思う。
そんな私、現在「働くからには全力を…!」と猛烈に誓っている。何かに。まだ働いていない現在、すでにメンタルすり減ってる。原因は私です。
「のんびりやっていこう、ゆっくりお散歩気分で生きてみよう」、それを何度自分に言い聞かせても、「やるぞやるぞわあああ!!」な暴徒と化す私がいる。暴れ馬とでも言っておこうか。まだ猪にはなっていないと思いたい。
そんな突進気味の私。「そんなものだし、のんびりテキトーに」ができればいいのにな、と思う。そんな深刻に物事を考えても良い方向に行くわけではないし、考えることで変わるものが確実にあるわけじゃない。
「なるようになるさ。」それは私が調子のいいときは自分に渡すことができる言葉だけれど、調子がいいとき、もしくは自分に合ったものを見つけられたときだけなのである。残念極まりない。
突進している最中の私でも、「こんなにやらなくてもいいのに」と思うのだけども。ほんと、心ってよく分からない。分かっていてもやってしまう、ということなんて多々ある。
よく分からない、と思いつつも、「私が比較的突進せずに落ち着いて行動できる条件」みたいなものは若干は知っているのだけれども。それが容易に手に入るようになって、そこで十分な期間を過ごすことができたらどうなるだろう。今度やってみようかな。
私のこの突進する傾向、0か1の思考。これらはまぁASDの特徴なのだと思う。脳の仕組みがそうなっているのだから私はどうしようもない。そう思いたい。
まぁそれなりにこの私の特徴に振り回されて生きていくんだろうなぁ。完全に改善する方法がおそらくはない、だからこそ上手く付き合っていかないといけないものだと思う。
それなりに私は心理学を勉強したし、ASDに関しては知識は持っていると思う。対処法や改善するためにすること、とか。特徴から何を学ぶべきか、人との付き合いはどうするか、とか。
職業訓練でも、就労移行でも。対人面に関しては学んだし、問題を起こすこともなかった。私は割と模範的だった。
そんな私でも、ASDには振り回される。「こうなっているから、私の状況はこうなんだな」と分かっていても、それをどうすることもできない、そんな感じ。もどかしいとも言えるし、匙を投げたいとも言える。投げたところで解決しないけどさ(笑)
色々「えーい☆」ってやって、テキトーに生きてしまえばいいのよ!と思っても、それはできないという。難儀なものです。シンプルになってよ私。
発達障害、ASD。個性と言うには自分を悩ませるものだと思う。私から言うとね。個性だったら、もっと上手く付き合えると思う。個性と言いたいのなら、言ってもいいとは思うけどね。
ほんと、ゆるっと生きられたらなぁ。私の人生の哲学の師は、日本では”ぐでたま”です。彼の本(漫画?)持っていて読んでるのになぁ(笑)
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