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「哲学と宗教全史」を読んで。+哲学への愛

 441回目です。φです。

 英語のレッスン、予約していたのですがテキストの選択間違えて、数秒間アルカイックスマイルになっていました。まぁ本来のアルカイックスマイルよりは邪悪なものだとは思いますが。

 最近は色々なことがとんでもない方向性をもって発生するので、焦ったり苛立ったり不安になったり、とかよりも「HAHAHAHA…」と謎の笑いからスタートしています。無の極致にいたり、5周くらい回って面白くなったり、ちょっとよく分からないですね的な高速で問題点をすっ飛ばしたり、なんだろう、新たな反応をするようになりました。なにこれ。

 アルカイックスマイルとりあえずやっておこうな流れ、なかなか良いですよ。何が良いかとか私の独断でしかないけれど、数秒間「あっれーどうにかなるよねーアルカイックスマイルだものー」となって無駄に落ち着きます。別に解決するわけでもないけど、落ち着きって大事です(笑)

 その後英語のレッスンで、ここ1か月やっていなかったテキストを使って、思いのほか英語力伸びていたことにちょっと嬉しくなりました。ここまで華麗に「テキスト選択間違ったーやらかしたーでも楽しみますよろしく!」を言えるなんてね…上達してるよ私、おめでとう…

 楽しいレッスンになったので、まぁ結果的に良かったのですが。私のアルカイックスマイルの発動にかかる時間、めちゃくちゃ短くなったなぁと思いました(笑)

 さて、そんな午前中でしたが、午後からは読書で大人しくしておりまして。途中色々あったけど。

 すごく良い本に出会えました。長く探していた本だったから、嬉しさも倍増です!


 読んだ本はこちら。

 先日から読んでいた本なのですが、本日読破しまして…ここまでひとりで盛り上がるの久しぶりってくらい盛り上がっていました。たぁぁぁのしいいいい!!!

 最初までは「まぁそんな感じだよね宗教。」とさらっと読んでいたのですが、後半辺りのフランシス・ベーコン以降の哲学に食いつき始めました私。

 私の好きな哲学者はカントで、イギリス経験論も好き。

 この本でまず私が食いついたのが、イギリス経験論じゃなくて「イングランド経験論」と書いているところです。わぉマニアック。

 ベーコンについて、私は正直あまり知らなかったのです。名前は知っているし、シェイクスピアと同一人物と疑われている人物。その程度の知識。いや知識でもないかな。

 「4つのイドラ」がベーコンの警告だったということを読んで、急に楽しくなりました!私が論理学で習った「イドラ」、ベーコンの考えだったとは!

 大学生だった私が「なにそれちょっと面倒」と思った内容でもあるのですが、この本ではなかなか分かりやすく説明されていて、その説明もまた魅力的。「もっと知りたい!」となる言葉で、さらにこの内容について詳しく書かれている参考文献もしっかり書かれています。読むしかないじゃない…。

 それからも読み進めるのがもったいなく感じるし、1ページにずっと留まって考えていたい欲求にかられたのですが、とりあえず読み進めまして。

 止まっちゃいました、ヘーゲルのところ。ヘーゲル、私は大学の哲学でカント・ヘーゲル・ライプニッツ、をさらっと講義で聴いたときに「アウフヘーベンって折衷案ということ?テーゼとアンチテーゼ、綜合して何の意味がある?」と思ったものです。めちゃくちゃ納得いかなかった(笑)

 なんだか都合が良いものに聴こえたんですよね、当時。もやっとした気持ちが残ったというか。

 しかし今回読んでいて止まった。なぜかというと、ヘーゲルすっごく自国ことプロイセン好きだから(笑)

 当時の時代背景を、大学の頃の私は知る余裕もなかった。彼らの哲学は当時の私にとって難問で、言葉自体に戸惑いがあった。今思うと、英語で勉強しておけばちょっと分かりやすかったのかもしれない。カントの悟性や感性、ほんと英語の方が分かりやすいよね…。

 で、ヘーゲルはプロイセンが国家存亡の危機に生きた人だった。ナポレオンさん大活躍中のヨーロッパ。それを知っていたら、もっと彼について踏み込んでいたかもしれない。まぁ理解はできなかっただろうなぁとは思うけどね!今が理解するにはベスト!

 何度か書いていますが、私はプロイセン王国が好きなんですよね。カントが一生を過ごした場所だし、馬は最高のトラケナーを生み出したし、人物も魅力的な人が多い。あと自由に対する態度、放任感あふれる制度、異色な体制が面白いのです。なくなった国、ということも魅力のひとつだと思う。

 あ、脱線していますね。戻ろう(笑)

 私がこの本で最も優れていると思った点は、単に哲学と宗教の紹介ではない点です。時代の背景、誰が誰を参考にしたのか、誰がどの考えに反旗を翻したのか、古代と現代の哲学の相違点、哲学と国の出来事、などなど。哲学に関して、宗教に関して、歴史をまるごと知ることができるのです。

 もちろん思想と言うものは時代背景に大きく左右されます。思想が変わらない人間間では革命は起こらない。誰もが満足した政治だったら、トップに押し掛けることはない。何かが歴史上に残るとき、それは人によって起こされるのです。人が新しい思想を持つからこそ。過去のものに終わりを告げるからこそ、次の時代がやってくるわけです。

 それの大切さをこの本は教えてくれます。「宗教と哲学全史」というタイトルですが、これは歴史も学べる。人類に関して学ぶことができると言っても過言ではないと私は思います。

 最後に書かれていた、AIの時代での哲学や宗教について。これもひどく考えさせられる言葉の数々でした。

 私は今こそ先人たちの功績を学ぶべきだと思うし、彼らが科学の未発達な時代に想像力をもって生み出した考え、思考に思考を持って考えるような理論を今日発表されたかのように接することが大切なのだと思う。人間ってそんなに変わっていないもの。

 400ページくらいはあるし、ちょっと持ち運ぶには重いけれども。ぜひぜひ読んでもらいたい。伝え方はシンプルなので分かりやすいですよー!

 これ、買おう私。手元に置いておきたいし、良い言葉が詰まりに詰まっています。最高です。

 最後に、少し哲学の面白さについて私の意見を書きます。

 正直、哲学は必要ない学問だともいえるのです。色々な現象に対して、「そうなるのが当然だ」と言ってしまえば、哲学者たちが人生をかけて考えた真理は無意味です。特に、今のように科学が発達し、どんなこともほとんどその技術をもって解明することができる世の中では。

 例えば脳の認識について。どういった風に人は認識するのか、というものも、脳波のデータを集めて、いくつかのグループに分けて、傾向を計算することでわかることはたくさんあります。帰納法で調べることは、昔よりもはるかに簡単です。データを集めることだって容易です。今世界を自分の足で歩いてデータを集めなくても、ネットを使えば、メールを使えば、サーバーで共有してしまえば、データなんていくらでも手に入ります。もちろん参加者自体は必要だけども。

 しかしながら、すべてが科学で証明できるのでしょうか。すべてを科学的なデータから考えていいのでしょうか。

 データは正確です。ですが、データを扱うのは人間であって、その人間が正しい情報をデータから考えることができているのか、は分からないわけです。データは正しい、けれどデータを読み解くのは間違えが起こる可能性の高い人間です。人間の解釈が正しいかどうかは、分からないわけです。

 データに依存し過ぎない。思考によって物事を考え、自分の考えの視点から問題を捉え、何度もひとつの問題に対して向かい合って考える。数字よりも優先するものはたくさんあると私は思います。

 それが正しいかどうかは、分かりません。データと同じ。もしかしたらその自分の考えがいつの時代かに逆転されるかもしれない。自分の考えから飛躍したものが主流になっているかもしれない。それは誰にも分からないことです。評価や再考は、生きている間の時代では分からないものです。

 そんなことを考えていると、哲学と言うものはいつの時代にだって必要なのです。「〇〇だから××」とそれがあたかも当然のように言ってしまえば終わってしまう問題を、永遠と考える。答えが出るか出ないか、正しいか正しくないかすら分からないような問題を。そんなことを、人間は遥か昔からずっとやってきているのです。それだけで、十分に面白いことだと私は思います。

 どの時代でも人間が絶えず興味を持っている学問。それが哲学です。人間が生きるにあたって、考えることが無い道のりはなかなかないものです。色々なことに人間は直面します。心があるからです。解決しようとするからです。心があって、考えるからこそ人間だと私は思います。

 そう考えると、哲学って面白い。AIと共存する時代がやってきています。そんな今だからこそ、人間に対しての問いや自然についての問い、それを熟考する時間が必要だと思う。哲学はそれらを考える手段やきっかけをくれます。ヒントが山のようにあります。

 小難しいこと書いてあること多いけど、自分にとって「なるほど!」となる考えや言葉があります。私はそうでした。ぜひぜひ、哲学に興味を持ってほしいな、と思います。

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