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75周年と過去。

 379回目です。φです。

 今日はアプリで絵本を読んでいました英語で。レベル高めにしているので、絵本というよりも本の方が正しそうだけれど。

 これ、無料でいいのかなぁ、と思うくらいのクオリティで。ほんと、年々語学を勉強する機会って増えているし、効率的になっているというか。

 とあるテキストで、「今は語学の教材に溢れている。一昔前はCDすらなかった。テープレコーダーすらなかった。」と書いてあって、ちょっと驚きました。当時語学が堪能だった人、今よりずっと努力したんだろうな、とか。本1冊手に入れるだけでも大変だっただろうし。少ないものをかき集めて勉強したんだろうな、とか。

 人間の脳が急に良くなっているとかじゃないから、新しいものを覚えることへの困難さは変わらないだろうけれど、状況は全く違うんだろうなぁ。今ではたくさんの本があって、効率よく学ぶための科学的根拠があって、すぐにその言語を母語とする人に出会えて。

 時代って変わるものですね。時代の良さを最大限に生かして、自分を高めていきたいものです。

 さて、今日はそのアプリの本読んだ「What You Didn't Know About The KGB and The COLD WAR」で思ったことについて書きます。自分の生まれた国の負の歴史は、どうやって取り扱っていくべきか。色々と考えました。


 5月8日は、ヨーロッパで第二次世界大戦が終わりました。今年2020年は75周年。

 ドイツ大使館のTwitterでは当時をどうするかについて発信していらっしゃいました。

 シュタインマイヤー大統領のスピーチも日本語で読むことができます。

 このドイツの記憶、過去に対する姿勢をどう捉えるか、は人によると思います。とある人は「もう世代が変わったのに」「当時の人はいないのに」「若い世代に負わせ続けるのか」と思うでしょう。

 とある人は、「いつまでも忘れないことが大切だ」「記憶し思い起こすことが平和のためだ」「二度と繰り返さないために語り続けるべきだ」と思うでしょう。意見は分かれると思います。

 私は世界大戦から冷戦、そして東欧諸国の民主化の本や情報を手に取るたびに、どれがより良いのか?と思います。きっと数十年、数百年経って、私たちの「今」が歴史の一部になったときに、後世の人が判断するのだろうけれど。

 戦争を過去のことにすると、人はすぐ忘れます。戦争で何が起こったのか、何をし何をされたのか。人はどう考えたのか、何が正しかったのか。

 全部過去のことにするのは簡単です。「昔の人がやった」ということにしたら、私たちには何の責任もない。もしかしたら受け継いだ「戦争の何か」を考えなくてもいい。終わったことにしたらいいのですから。

 それに、国同士の関係が戦争のことで悪化しても、「昔の人がやった」の一言で何でも擦り付けることができます。今の人には関係がなくて、もう当時の人たちはいません。ということにしたら簡単。

 そうしているうちに、おそらく再び戦争は始まる。過去のことを教訓にしなかったら、戦争の怖さなんてありません。戦争でどうなるか、戦争でどうなったか、とか気にしなくなるものです。

 だからこそ、戦争に生き残って、辛い経験を伝えてくれる語り部たちがいるのだと私は思います。当時を生きて、悲惨さを実際に見た目の持ち主が話してくれる。ご本人たちは辛くないのかな、と私は思います。

 戦争は忘れてはいけない。自国にもたらされた被害だけではなく、自国がもたらした被害を知ること、理解し伝え続けることが平和への一歩だと思う。

 反対意見としては、いつまでその国に生まれたというだけで、罪を背負い続けないといけないのだろう、という点だと思います。

 例えば私がドイツに生まれたとします。小さい頃から「ドイツ人はヨーロッパを恐怖に陥れた。ドイツに生まれたのなら、それを償い続ける必要がある。」と言われるでしょう。おそらく、です。

 多分、いくら戦争を勉強して、事実を知って、人や建物の中に今も残る戦争の傷跡を実際に見ても、「これは自分がやったんじゃない」と思うときがあると思う。「自分が生まれてもいない時代のものだ」、とか。「どうして私たちの世代まで、昔の人の罪を負わせるのか」、とか。「ただこの国に生まれただけなのに」とかも思うかもしれない。

 もし私が、ドイツに生まれたけれど親のどちらか、または両方がポーランド出身だった。オーストリア出身だった。ロシア出身だった。だとしたら、私はどう思うのだろう。

 ドイツの被害に遭った国、ともいえる国々の出身だとしたら?侵略された国の出身だったら?

 国籍にドイツ、と書かれてあっても、「どうして私はドイツの罪を背負わないといけないのか?」と思うだろうと思います。自分の家族は被害を受けて、私はその加害者なのか?

 ドイツは今移民大国です。ドイツ人といっても、いわゆる純潔なゲルマン人やアーリア人はほとんどいないんじゃないかなぁ、と私は想像しています。実際の数字は知りませんが…あとで調べよう。

 自分はずっとドイツにいた家系じゃないのに。という思いがあればあるほど、大統領の「ドイツは軍事的に敗北し、政治的・経済的に壊滅し、倫理的に打ちのめされていました。私たちは全世界を敵に回していたのです。」には納得がいかないというか、何ともいえない気持ちが募るんじゃないかな、と思う。

 ドイツは今度、どう向かい合っていくんだろう?若い世代であっても、教育で学び続けることで「ドイツ」という国が何をしたか、に向かい合って、自分と国との間に何かしらの決意を持つのだろうか。

 日本では、第二次世界大戦のことがあまり学校で習うことがないと私は感じます。私は学校を卒業してから日本の歴史を、世界の歴史を、自分の好奇心で調べました。今もですね。不純な動機ももちろんあるけど!

 調べているうちに、「こんな過去があったんだ」と思うことだらけです。さらに、フィリピンの方と話して、「日本を別の国の人はどう見ているか」という生の声を聞いたことで得た視点と言うものもあります。もちろん、フィリピンの方が全てのフィリピン国民を代表しているわけではないけれど。ひとつの声として、刺さるものがありました。

 私は中学の頃に平和学習として沖縄に行って、お話しを聞きました。太平洋戦争、第二次世界大戦のことはそれなりに勉強していたと思っていました。けれど、現在本を読めば読むほど、歴史を知れば知るほど、全く知らなかったのだと思うことだらけです。

 ドイツの教育はどうなんでしょうか。気になるところです。その教育によって、ドイツという国の罪を背負う役割を担っていると実感するのでしょうか。

 さて、長く語りましたが、私は風化させないこと、自国の歴史を知り、それから学び続けること。過去のことにしないこと。それらは戦争を再び起こさないこと、平和を壊さないためには極めて大切なことだと思っています。

 戦争から75年、色々な国同士の摩擦が起こっています。このコロナによっても露見してしまった差別なども、大きくなるにつれて戦争のきっかけになることだってあります。

 忘れた頃に繰り返す。その歴史を繰り返さないこと、それが全人類の忘れてはならない過去だと私は思う。平和は尊いのです。続けば続くほど、尊さが分からなくなってしまうかもしれないけれど。

 平和が一番です。戦争で得るものなんて、悲惨なことばかりです。

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