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無痛症とフィクション映画。

703回目です。φです。

先日国民の成人としての義務を果たしてきたのですが、帰り道に桜並木を見つけました。春ですね。川を飾るように桜がたくさん。

どこに行っても、桜の花の下には人。上を見上げていたり、写真を撮っていたり。みんな桜好きだなぁ。桜も愛されて幸せだろうなぁ。

桜を見ながら今年のクリスマスを楽しみにしている私ですが(笑)

それはさておき。

自分の行動で、「”そんなことしない”って思ってたこと、私やってるじゃない。」とふと思ったことがありました。先天性無痛無汗症に関して。最近2つ続けて無痛症の主人公の作品を見たから、改めて思ったのかも。あれそれ書いていこうと思う。


無痛症を扱った映画って、やたら爪剥いでるんですよね、無痛症の方。分かりやすいからかもしれない。他には殴っても殴られても無反応、とか。平気で誰かを傷つける、とか。

まぁ作った側も、「無痛症患者が見ているかも入れないから、極めてリアルに描こう…!」ということはやっていないだろうし、考えていない可能性もあるかと思います。

それを見て「ひどいわ!」と思ったり、ということはない。ただ「そう思われるよねぇ」と思いながら見る。「そうそうそんな感じ」とか。軽いな私。

かれこれ5作くらいは見たかなぁ無痛症系。どうでも良いのですが、やたら”最強”に描かれていて、「いやそんな強くないし…」と突っ込みをしてしまいます。最強兼最弱、ではあるだろうけどね!

一応は強い、でしょう。小さなことで言うと、小指ぶつけても普通に歩くし。この前爪割れてたことに気づかず歩いておりまして、足跡が血痕になってました。日常がバイオレンスです。自主的に。

怖いという感情もおそらくは少ない、もしくはない。「行けそうな気がするー!!!」から行けなかったor行ってはいけなかったエピソードはほぼ私の人生です。あり過ぎて覚えてない。

同時に最弱。

いつの間にか怪我して悪化していたり、安静にしないので完治までに時間がかかったり、突然「あら動かない」ということになったり。

表裏一体です、と言ったら聞こえは良さそう。多分。

さて、私が「自分も同じじゃないか」と思ったこと。爪剥いで楽しんでた。わぁ字面が悪い。

ちょっと端っこが割れた爪とか、折れた爪とか。何となく気になって、千切って、「取れたー!」と喜ぶ。当然ながら足は血だらけである。ついでに取ろうと頑張った手も血だらけである。

「気になっていた部分が取れた~良かったー上手く取れたし!」と思った後で自分を見て、「これ映画と一緒だ」と思う。爪を取って楽し気にしていた彼らは、私だった。

全部は取らないけどさ。爪取れたら困るし。生えるのに時間かかるし。病院行きたくないし。なんか悪そうだし。

それでも、その行為が痛みを与えるものだと知らない映画の登場人物たちと、痛みを知らずに爪を千切る私は同じで。フィクションだ、とは言えないな、と思って。

別にそれで落ち込むような気持ちになっても、自分が嫌になっても、無痛症だと改めて思っても、変わることはないんですけどね。ただ私が思うだけ。フィクションじゃないし、自分がやっていることで、私って無痛症なんだなぁって。

認めたくないような気がするけれど、映画を作った方々、実にお上手に無痛症描いているみたいですよーすごーい。全部じゃないけどね。

この行為は痛みを生むものであって、楽しいものではない。それを再学習して、覚え直さないといけないな、と思う。はぁ教科書ほしい。勉強の範囲が広すぎる。

今回は自戒を込めて書きました。爪、むしっても千切ってもダメ。流血、ダメ。

人生学ぶことだらけですねぇ。

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