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「真」の文芸? 谷垣君へ (霜舟)



漱石を読む前に

谷垣君にとって漱石が風変わりな叔父だとしたら、我々は親戚自慢を聞かされた恰好になる。ただ、彼の叔父は、我々にも気軽に近づけるわけだが。漱石が文芸の理想を四つに分けたというような話は、結局抽象論の域を出ないから、是非を問う体の問題ではない。しかし、現代の文芸は「真」の文芸だという漱石の考えにしても、現代の文芸は「荘厳」によって再興できるのではないかという君の意見にしても、ハア、マア、そんなものかしらん、というのが今の私の感想である。
しかし私には漱石のことが分からぬし、それ故君の言うことも飲み込めていないと思うから、話は『文芸の哲学的基礎』を読んでからである。が、それを読んで語る前に、考えるヒントになることを思い出したので、それだけ書いておく。広津和郎の『続年月のあしおと』にある話で、文芸懇話会というのができた時、組織者の目論見はいわゆる公序良俗に反するような文学を監視することにあったらしいのだが、メンバーの一人として広津と同席していた徳田秋声が何気なく「文学というのは昔から庶民の中から出て、庶民の中で育ったものだから、お上が口を出すようなものではない」というようなことを言って釘を差したので感心した、というのである。
文学とは何だろうという問いなどは大き過ぎてそもそも問うべきような性質のものかどうか定かでないが、それを問うた私の脳裡に浮かんだのが、秋声の文学観である。文学は、庶民の物語欲求の結晶である、とでも定式化できようか。ただし、「庶民の」と言っても、創作者がいい暮らしをしていてはいけないとか、知的エリートでは駄目だとかいうのではない。市井の暮らしを素材とし、市井の暮らしに声が届くことが最低条件だと思う。ダンテも西鶴も、決してエリートではない庶民の暮らす世界から素材を取り、その語りは庶民の心を震わせたのである。この、秋声の言葉に触発されて今生まれた文学観が、唯一の文学観だとは当然思わないし、漱石の文学観と排反するかどうかも分からない。私は、この文学観を導きの糸として、漱石の評論に分け入ろうと思う。それが親しむことになれば幸運である。

途中まで読んだ感想

今、「文芸の哲学的基礎」の七割程度を読んだところで、これ以上読み続ける気になれないし、ここまでで思ったことを一度まとめておきたいと思って書き始めている。思ったことというのは、一言で言えば性格の悪い親爺だというものである。しかしその性格の悪さは根っからのものであるより時代の病がたまたま金之助という男の体を借りて発現したものであろうと思うと哀れっぽくもある。性格の悪さというのは、例えば頻繁に挟まる言い訳めいた駄弁とか、大して感心していない作品を一方的に貶す態度とかに現れている。
彼はまず半分くらいの分量を割いて(そのまた半分はなくもがなの駄弁であるが)、非常に抽象的な世界観を語っている。空間とは、時間とは、因果関係とは、というような話や精神的活動を知情意に分けると、というような話を大雑把に語っている。そのなかには、物我の契合一致という、容易に頭に入ってこない虚仮威しのような文句まで見える。彼は「もし之を申し上げないと、いつ迄立つても文学談に移ることはできないのであります」というのだが、それは何故であろうか。私は、二つの可能性を考えている。一つは、漱石自身が、どうしてもそういう抽象的な理屈を手がかりにして事物を分解してみなければ気が済まなかったから、もう一つは、現代の文芸を「真」の文芸として剔出し、批判するため、というものである。前者であれば例の時代の病弊がいかに根深かったかという話になり、後者であればその批判の当否さえ吟味すれば、残りの抽象論はとりあえず包装紙のごとく脇に除けて良いことになる。

現代の文芸は「真」の文芸である?

漱石が、現代の文芸は「真」の文芸だというのはどいういうことか。彼はこれを、シェイクスピアの『オセロー』とイプセンの『ヘッダ・ガーブラー』とモーパッサンの『首飾り』とゾラのある作品(名前は不明)とを引き合いに出して論じている。これらはいずれも、「真」を描こうとするあまり、他の理想を(というのは詰まるところ「善」の理想をということであろうが)損ねてしまっているというのである。その中で最も分量を割いているモーパッサンへの文句について、正宗白鳥はこう言っている。

漱石が、モウパッサンの「首飾り」を非難した講演録を読んだことがあつたが、そこに含まれてゐた非難の個所は、このフランスの作家が、作中の薄給者夫妻の長い間の辛苦を無意味なものゝやうに取扱つた点にあつた。モウパッサンに対する道徳の立場からの非難は、トルストイによつて、峻烈に下されたのであつて、さういふところに、いろいろ〔原文踊り字〕な文学者の見解の相違が見られて面白いのであるが、トルストイ自身の描いた人間は、漱石の描いた人物のやうに、やすやす〔踊り字〕と道徳の支配を受けるほど薄手ではなかつた。そしてトルストイの道徳観は、彼れの深い悩みと表裏してゐた。「坊つちやん」に現はれた漱石のそれのやうに安値ではなかつた。

『作家論』

また、その「坊つちやん」については、こう言っている。同時代人(白鳥は12年年少だが、文壇に出たのは同じ頃である)の証言として興味深いので長いのも構わず段落丸々引く。

彼れの小説の見本は、初期の「坊つちやん」に於て決定されてゐるのであつた。「猫」とともに、最も広く読まれてゐる小説で、私も三四度読んでゐる訳である。先日本郷座の舞台に上演されたのも見た。読んでも面白かつた。芝居でも面白かつた。風俗小説としても、通俗劇としても、しめつぽいところのない、明るいお目出たい、懐疑のない、健全なものであつた。漱石が日本の国民的作家となつてゐる所以もこゝにあるのであらうか。英国の国民的作家として過日逝去したトマス・ハーディが暗澹たる運命観を保持してゐたのとはちがつてゐる。漱石を愛敬する日本の国民性は、しかく、明るくつてお目出たくつて、懐疑のない健全なものなのであらうか。外来の自然主義風の文学が、地味の適しないところに播かれた種子の如く、発育不全で繁茂しなかつたのも、その訳なのであらうか。

同上

ハーディで思い出したが、ハーディに"Ah, Are You Digging on My Grave"という詩があって、死者が自分の墓を掘る人に、貴方はさては◯◯ね、と繰り返し問い、その返事によって自分の提示する人々は皆自分のことをすっかり忘れていることを知り、掘っているのは飼い犬であったが彼もまたそれが主人の墓だということを忘れていた(彼は散歩中にしゃぶれるようにと骨を埋めに来ていた)という内容であるが、これなども漱石からすれば「善」の理想がないと言われてしまいそうである。
閑話休題、漱石はゾラに関してこう言っている。

よく下民の聚合する寄席抔へ参ると、時々妙な所で喝采することがあります。普通の人が眉を顰める所に限つて喝采するから妙であります。ゾラ君抔も日本へ来て寄席へでも出られたら、定めし大入を取られる事であらうと存じます。

「文芸の哲学的基礎」

漱石は、「明治座の所感を虚子君に問れて」(この題も嫌味である。別にわざわざ書きたいなどとは思わぬが、虚子君が問うので仕方無しに答えるのだ、だから失礼なことを言っても責めてくれるな、とでも言うようだ。)で、「到底今日の開明に伴つた筋を演じてゐないのだから甚だ気の毒な心持がした」、「極めて低級に属する頭脳を有つた人類で、同時に比較的芸術心に富んだ人類が、同程度の人類の要求に応ずるために作つたもの」、「野蛮人の芸術」等と、ちょっと心配になるくらいに気前よく悪態を吐いている(貶しっ放しではないからその点は彼の名誉のために注意しておく)。漱石を通俗的で浅薄と断ずる白鳥が歌舞伎を大いに好み、漱石が嫌うというのは面白い。
また、

竹取物語とか、太平記とかを見ると、色々な人間が出て来るがみんな同じ人間の様であります。西鶴抔に至つても矢張りさうであります。つまりあゝ云ふ著者には人間が大抵同様にぼうつと見えたのでありませう。文化作用の発展した今日になると人間観がさう鷹揚ではいけない。彼等の精神作用に就いて微妙な細い割り方をして、しかも其割つた部分を明細に描写する手際がなければ時勢に釣り合はない。

「文芸の哲学的基礎」

と大見得を切っている。シェイクスピアやゲーテを軽んじた岩野泡鳴は、彼自身馬鹿にされていたのだから可愛げがあるが、漱石はモーパッサンやゾラや日本古典をいくら軽んじても先生と言って慕われてしまうのだから却って気の毒である。そうして、自分の道徳観にたがう人間のことは問題にしない漱石が、種々多様な人間を観察して精確に描き出さなければならないなどというのに至っては、さすがに可愛らしくも思われる。
白鳥が「坊つちやん」を論じて「懐疑のない」と言うのは、漱石の言葉を用いれば「善」の理想が「真」の理想から独立できていたという意味である。「懐疑」というのは、「善」だと思っていたものが信じられなくなって、その代わりに何らかの「善」を信じたり疑ったりするという事実に懸かる「真」を問わざるを得なくなるという事態のことを言う。モーパッサンもゾラもイプセンも、またシェイクスピアも、何らかの「善」を素朴に信じてなどいない。さもなくば、健全な漱石を不快にさせるような作品をわざわざ書きはしなかったであろう。

現代文芸の再興

さてはてどうにか私は今、「文芸の哲学的基礎」を通読した。特に余計に言いたくなったことはない(漱石ファン以外の人々には、この精神的労働に従事するのはおすすめできない、ということは言っておこう。「私の個人主義」などはそんなに抽象的でもなかったと記憶しているから、事情さえ許せば「文芸の哲学的基礎」より読みやすいものを読まれることを勧めたい)。ただ、同時代の文壇の様子に対して彼が随分神経質になっていることはよく分かった。やはりこの文章は、同時代の文芸に一言どころかたっぷり苦言を呈してやりたいというのが、底意として構えているものと思う。そうしてそれに対する彼の意見は至極単純である。抽象的なるがゆえに単純なのだ。漱石は、理想を固めよ、高く堅固な理想によって感心せしめよという。序でにいえば谷垣君はその理想のうちでも荘厳のそれによって現代文学を再興しようという。
私はその御意見には一向感心できない。ここで漸く冒頭の「庶民文学」論に落ちをつける時が来た。私の見る所、人々は理想を抱いていないだけでなく、理想を抱く人に感心する人も少なくなっている。漱石の時代はその点今よりずっとマシであったろうが、「懐疑」を抱く人は既に現れ始めていたのだ。漱石は懐疑的な人々に向ける目を持たなかった。彼の声は健全な人々の耳にしか届かなかったのである。だから我々は谷垣君に反して言おう。現代文学の再興は、理想を掲げることでなく、理想を囁くことに懸っていると。空虚な心を埋めるには、内容のあるものを持っていけばよいというものではない。空虚さの中で、見棄てられたままの種子を拾い集めなければならない。

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