蛤御門の変。実質長州と薩摩の戦いという、會津の面目を潰した評価があるが何か有効な反論の事実はないか、目下検索中である。會津というと田舎の芋っぽい藩みたいな意見すら出てくるが、會津の最後の最後まで徳川の為に戦った義理と使命感を八重の桜くらいしか表現してくれないのは悲しいけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?