『ジョーカー』に共感するなんて絶対にイヤだ!!・・・でも、
映画『ジョーカー』 素晴らしかったです。
『ジョーカー』を見る前に思っていたこと
この作品を見る前には、「ジョーカーに同情してしまうような作品だったらイヤだな」と考えていました。
私はフィクションのヴィランに同情するなんて冗談じゃないという考えです。もちろん私も若い頃は理由のある悪役や、考慮できる事情を抱えた敵キャラクターを魅力的に感じていました。
しかしもうそんな中学生のような思考・感性はなくなりました。
今は、悪役は悪役らしく存分に根っこから腐っているほうが良い、と考えています。(『ジョジョの奇妙な冒険』に出てくる敵のボスキャラクターなどは良いですね。みんな考え方が小物で悪党として本当に格好いいです。)
この映画のジョーカーに対して多少の同情の余地はあっても、はっきりと「こいつはやっぱり許せない悪だ」と思えるような映画であってほしいと祈っていました。
『ジョーカー』を見た後で感じたこと
そんな思いで見た本作。
ジョーカーのあまりにも絶望的な境遇に同情せざるを得ず、彼が犯した大罪に共感し、彼を許さないどころか最後には内心喝采を送ってしまいました。
映画のラスト、彼が自分の血で口元の笑顔のメイクを描き、振り返って大衆にその顔を見せる場面のカタルシスは、言葉にできません。
あの瞬間、彼は大望である「多くの人々を笑顔にすること」と「自分の存在を認知してもらうこと」の2つを成したのです。素晴らしい演出でした。
私は結局、イヤだイヤだと思っていたモノを見せつけられ、それにまんまと乗せられ、のめり込んで共感してしまったのでした。
ネットスラング的に言えば「くやしい・・・でも///(略)」ということです。
参りました。
物思いにふけって気づいたこと
映画のことを振り返りながら、先日の美容室での会話を思い出しました。
美容師のお兄さんが、「ジョーカーを見た。考えさせられる映画だった」と話していました。
彼は「中学生くらいのお客さんが『ジョーカー面白かった』と話していたが、考えさせられる映画であっても面白いとは言えない。それはやっぱり中学生の感性なんだと思う」とおっしゃっていました。
これからも、私は中学生のような思考・感性で生きてまいります。
この映画は、人によっては大きな感銘を受け、共感し、悪い影響を受けてしまうのではないかと感じました。絶望の底にいたジョーカーが、犯罪によって徐々に心を浄化させて自分らしさを手にする姿があまりにも芸術的に描かれすぎていました。ある種、理想的なもののようにも見受けられました。この映画に影響を受けた犯罪がおこらないことを心から祈っています。