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ケアの現場、ケアな現場

軽井沢から東京への帰り道。
ほわほわとして、心の内側から身体が温まるような感覚になっていて、
これがwell-beingかも、と思いました。
癒され、力をもらった1日でした。

澄んだ空気の冷たさと、木のぬくもりを感じるアステリアさんのオフィスにて。イベントのはじまりに投げかけられた問い。
「最近、いろいろなところで聞かれるようになった『well-being』って、なんなんだろう。だれのため、なんのためのものだろう」

よくwell、生きるbeing。幸せ。
その中身は、人それぞれなもの、のはず。
でも、いまの世界には、「それぞれ」を大事にできない環境がたくさんあるように思う。そして、消費社会、資本主義社会のなかで、そういう環境に生かされているのも事実だと思う。

だから、
どっちがいい悪い、じゃなくて、
なにかを極端に受容したり、否定したり、するのではなくて、
間を漂うように生きてみたい。漂いながら、隣にたまたまやってくる人、その人にとっての、生きること、幸せ、に、率直に、向き合い、関わりたい。

ベトナムで出会った子どもから、自分は何も知らないと気づかされて、福祉にハマって、国内の現場を少し知って、いまはいわゆる医療福祉の現場ではない場所にいる。

私はその間、どんどんと足元のwell-beingに近づいていった気がする。
途上国、先進国、医療福祉の現場、そうでない場。ケアを必要としている人は自分の近くにもいて、私が向き合えるのは、結局は隣にいる人だって思った。

隣の人をケアするような文化を、思い出し、取り戻していきたい。
右か、左か、ではない、分断されない方法で、
生きづらい人が1人でも減って、well-beingな人が1人でも増えたらいいな。

「コミュニティは、願いや祈りみたいなものを共有するつながりなのではないかと思う」
イベントのなかで話されていた。あーそうだな、それいいな、と思った。
自分と、隣の人の、well-beingを願いあえるような、短距離や長距離のつながりあい。
ケアする人とされる人の境界がにじんで、ケア「の」現場がケア「な」現場に変わって、ひろがっていく。
このイベントはそういう場だったし、私もそういうものを育てていきたい。

よい出会いと、再会に恵まれ、そんな思いを心におかえり、をして、ほわほわとして帰ってきた1日。ととのった~。

言葉にすることでたしかになるものと、こぼれていくものがあるように思いますが、
このメモをみてまた大事なことをおかえりできるように。

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