ピカソとその時代
【2022.12.11の記録】
上野の国立西洋美術館で行われている「ピカソとその時代〜ベルリン国立ベルクグリューン美術館展〜」へ行ってきた。
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ベルクグリューンと芸術家たち
ドイツ生まれの美術商ハインツ・ベルクグリューン(1914-2007年)は、1948年からパリで画廊を経営しながら自分自身のために作品を集め、世界有数の個人コレクションを作りあげた。彼のコレクションは1996年以後、生まれ故郷であるベルリンのシャルロッテンブルク宮殿に面した建物の中で公開され、2000年には主要作品をドイツ政府が購入、2004年にはベルクグリューン美術館と改称した。ベルリン国立美術館群ナショナルギャラリーに属し、数々の展覧会を開催し世界的な評価を得る美術館。
ベルクグリューンは晩年まで作品の購入と放出を繰返し、コレクションに際立った特色を持たせるよう努めた。最終的には、彼が最も敬愛した同時代の4人の芸術家たち、パブロ・ピカソ、パウル・クレー、アンリ・マティス、アルベルト・ジャコメッティの作品に重点が置かれている。この4人に彼らが共通して師と仰いだモダンアートの祖、ポール・セザンヌも加えた、粒選りの作品からなるコレクションは、創造性と生命力にあふれた20世紀の巨匠たちの芸術を堪能させてくれる。ベルクグリューン美術館の改修を機に実現した今回の展覧会は、この個性的で傑出したコレクションから精選した97点の作品に、日本の国立美術館の所蔵・寄託作品11点を加えた合計108点で構成される。
上野を訪れたのは、ぶっちゃけ飲み会がきっかけだったので、特にものすごくピカソが観たい、というわけではなかった。
ピカソについて詳しいわけでもないし。
ただ、モネとドビュッシーの印象派、など、美術の世界に触れることによって、自分の取り組んでいる音楽の作品が可視化されるようなこともあって、美術と音楽の芸術のなかでのつながりというのは深く感じるため、今回もそういう出会いがあれば良いなあ、と思いながら立ち寄ったのだった。
メモを取りながら巡ったので、その記録を残していく。
ピカソとブラックー新しい造形言語の創造
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ピカソの「青の時代」が始まるきっかけとなったのは、失恋を苦に自殺した、カサジェマスという友人の死であった。
悲しみや苦悩など、負の要素を表現する手段として、ピカソは青という色を使った。
では、はて、音楽では何を使うだろう?
短調、調性の概念が色彩に値するかな?
感情を表せる手段はことばだけではない、ということを認識できるか否かで、自分の生きやすさだったり、あるいは他者への目の向け方だったり、世界の広さが変わるかもなあ、なんてことを考えながら観ていた。
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アルルカンとは、道化師のこと。
華やかな舞台でおどける道化師の、居場所がない様、その矛盾を描いている。
ばら色の時代に変わる転換期に描かれた。
【ばら色の時代】
1904年、ピカソはパリのバトー・ラヴォワール(洗濯船)と呼ばれる建物にアトリエを構え、フェルナンド・オリヴィエという名前の女性と同棲を始めました。少し教養のある女性で、ピカソにフランス語を教えたり、精神的な安定を与えてひたすら絵を描くようにピカソを仕向けました。彼女と暮らすようになってから「青の時代」の表現は影を潜め、ピカソは彼女の美しい裸像や身近な人々の肖像画、彼女の仲間たち、俳優、サーカスの芸人たちを、バラ色を基調とした暖かい色で描くようになりました。
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裸婦(《アヴィニョンの娘たち》のための習作)/ パブロ・ピカソ
1906年以降、ピカソはスペインの古代美術や、アフリカ・オセアニアの美術にインスピレーションを受けるようになる。
この絵は、キュビズム絵画の始まりの作品。
キュビズムとは、3次元を平面に置き換える手法。
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アプサントとは、「緑の妖精」と呼ばれていた飲み物。成分の一部が幻覚作用を引き起こす。
パリのお祭りでよく使われる紙吹雪が描かれている。
両大戦間のピカソ― 古典主義とその破壊
古典的な西洋美術は、奥行きを大事にする、窓のような存在であったが、ブラックらの絵画は、「絵の具が塗られている」という事実をおもむろに示していく。そして、絵画そのものの物質感をあらわにする。「総合的キュビズム」と呼ばれる。
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画家と彫刻家は、ピカソが描き続けたイメージである。この絵をみたとき、高校生の頃に英語の先生が話していた、ピグマリオンの神話を思いました。たしか、進路にまつわった、想いを叶えるには願い続けることだ、という旨のお話だった気がする。
現実の女性に失望していたピグマリオンは、あるとき自ら理想の女性・ガラテアを彫刻した。その像を見ているうちにガラテアが服を着ていないことを恥ずかしいと思い始め、服を彫り入れる。そのうち彼は自らの彫刻に恋をするようになる。さらに彼は食事を用意したり話しかけたりするようになり、それが人間になることを願った。その彫像から離れないようになり次第に衰弱していく姿を見かねたアプロディーテーがその願いを容れて彫像に生命を与え、ピグマリオンはそれを妻に迎えた。
両大戦間のピカソ― 女性のイメージ
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戦争への恐怖が表れている。
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全体的に灰色な絵。処刑台のようなベッド。
ピカソは戦争そのものを描かなかったが、絵の中に戦争は存在している。
クレーの宇宙
私がこの展示で最も心に残ったのは、パウル・クレーの作品だった。
恥ずかしながら、クレーという人物をこの展示で初めて知った。
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クレーは音楽一家に生まれ育ったため、クレーの絵は音楽からもインスピレーションを受けている。夢の都市は、「フーガ」と呼ばれる種類の作品だそうで、バッハの音楽が可視化されたように思えて、音楽と美術の繋がりを感じて興奮していた。(夢の都市はポストカードまで購入した。)
クレーの天使
展示を観終わり、ミュージアムショップをうろうろしていたところ、ふと谷川俊太郎さんの詩集『クレーの天使』が目に留まった。
ぱらぱらめくっていると、「天使、まだ手探りしている」という詩が。
わたしにはみえないものを
てんしがみてくれる
わたしにはさわれないところに
てんしはさわってくれる
わたしのこころにごみがだまってる
でもそこにもてんしがかくれてる
つばさをたたんで
わたしのこころがはばたくとき
それはてんしがつばさをひろげるとき
わたしがみみをすますとき
それはてんしがだれかのなきごえにきづくとき
わたしよりさきに
わたしにもみえないわたしのてんし
いつかだれかがみつけてくれる(だろうか)
去年(2022)の8月、相澤直人さん作曲の「天使、まだ手探りしている」という合唱曲を、相澤さんご本人の指揮で歌わせていただいたのだが、ああ、この作品の詩のルーツは、クレーの天使だったのか、と。詩(文学)と美術と音楽が、自分の中で三位一体になったような、そんな感覚がしてとても嬉しくなった。わくわくした。
何度読んでも泣けてしまうこの詩集。また素敵な作品に出会ってしまった。これだから芸術を追いかけるのはやめられないなあと感じた日だった。
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