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何より大切なのは「距離」

こんばんは。
お越しいただきありがとうございます。

あれこれ書きかけのnoteがいくつかあるのですが、最近の大きな変化「移住」について徒然に書き残しておこうと思います。

新しい土地にきて1週間が経とうとしています。縁もゆかりもない地方都市です。

強いて言えば今、お世話になっているセラピストさんのお宅が自転車で行ける距離にあります。
とはいえ、プライベートでおつきあいすることはないですから、気軽に会うような知人、友人はひとりもいません。

一度前の住まいからセラピーを受けにきた時、賃貸契約、鍵の受け渡しとこの土地に来た回数3回、実質4回目にして住み始めたわけです。

新居に向かうとき、最終の新幹線が東京から走り出し、感慨に耽るかと思いましたが、実際そんなことは全くありませんでした。
疲れた身体を座席に委ねつつ、非常に淡々とした気持ちで夜の明かりが流れる景色を見たりうたたねしたりしてました。

自分の思考の癖として、身に起こる出来事、変化が大きくあればあるほど感情が消失する傾向にあるようです。
ドラマや映画、本、ノンフィクション、自分に関係のない話での涙はいくらでもすぐ流すのに。
一種の自己防衛でしょうか。

台風があったり、まだ家財が届いていなかったり、休暇中であったりで本当の生活はこれからですが、感覚として驚くほど「平気」。

特に会う人もいない、ひとりでいる、周りから見たら「孤独」と言えるこの状態が自分が自分でいられる「普通」なのかもしれません。
今までが異常だったのかもと思うほど。
そのくらい自分にとって人との「距離」があることが良薬となっているようです。

人里離れた山奥に自給自足で住んでいるわけでなし、買い物に出かけたり、手続きしに行ったり人と会話しないことはまずないので、その最低限の距離感が適切なのだとしたら、この移住は起こすべくして起こした「変化」、タイトルにもしましたが、自分を守るために必要なもの大切なものは物理的、心理的「距離」だったのかもしれません。

これすなわち「解放」、自分なりの「解禁」的な。と、突然ユンギ絡めたりして。
ちなみに用事がない日はスプを観てます。
バンタン全員の考え方や言動は癒しになったり指針になったり、全てが本音ではないとしても、この韓国の青年たちの精神的成熟度に日々驚かされています。

最後に現実的な困りごととしては女手のため、力仕事や高い場所の作業に限界がありますね。そういうヘルパーさんていないか探してみなければ。

つたない文章を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。