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- 入院0日目 - 医療保護入院

今日から精神科病院に入院していた間に書きためた日記を少しずつ整理して、文字に起こしていこうと思います。入院してから最初の1週間は筆記用具の所持が禁止されていたため、以下の文章は入院7日目に記憶をたどりながら書いたものです。なお、登場する医療スタッフと患者の名前はすべて仮名です。

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午前9時。母の運転する車で、紹介先の病院に到着。この病院はとんでもない山の中にある、とんでもなく古い病院だ。どのくらい山の中かというと、病院への道筋に「クマ出没注意」の看板が建てられ、病院の敷地内にカモシカが姿を見せるくらいの山奥だ。どれだけ古いかというと、その歴史は戦前の結核療養所(堀辰雄の『風立ちぬ』で主人公の婚約者が入所していたサナトリウムがその例だ)にさかのぼる。

外来で血圧・身長・体重を測定した後、主治医の高木先生の診察を受けた。メガネをかけた女性の先生で、誠実な態度に少しホッとする。先生にお薬手帳を見せると、処方されている薬の量が多いこと、依存性のある薬も含まれていることを指摘され、入院中に薬を整理して徐々に減らしていきましょうと言われた。

「死にたい気持ちはありますか?」と問われたので「ある」と答えると、いつ・どこで・どのような手段で自殺するつもりなのかを詳しく聞かれた。希死念慮が強いことを考慮して、当初予定していた「任意入院」から「医療保護入院」に入院の形態を変更することになった。先生は「医療保護入院に際してのお知らせ」と記された紙を取り出すと、わたしの入院は精神保健福祉法で定められた医療保護入院であること、入院中は行動が制限されることなど法律や人権に関する説明をして、同席していた母が同意の印にサインをした。死にたい気持ちが軽くなるように、とにかく心と体を休めましょうと先生は言った。

外来で検査(PCR検査・血液検査・尿検査・CT)をひと通り終わらせると、病棟へ案内された。はじめにナースステーションの横にある空き部屋に通され、担当看護師の坂井ナースから「入院のしおり」に沿って入院生活の説明を受けた。そこへ金属探知機を持った町田ナースが加わり、空港さながらのボディチェックと荷物検査が行われた。荷物を入れてきたスーツケース、履いていたブーツ、着ていたコートは「入院中は使わないから」という理由で母が持ち帰ることになった。病棟に持ち込み可能になった私物はすべて(スカートの下に履いていたタイツまで)「危険だから」という理由で没収され、ナースステーション預かりになった。身ぐるみ剥がされるってこういうことなのかと、ショックで頭の中が真っ白になった。

病棟前の廊下で母と別れ(例のウイルスの影響で家族は病棟に入ることができない)、坂井ナースに病室へ案内された。通されたのは個室で、広さは12畳くらい。あちこちペンキの剥げた汚らしい壁、リノリウムの床、それにベッドが1つ。普通の病室にあるような床頭台もオーバーテーブルもベッドライトもテレビもない。広い部屋にベッドがポツンと置かれているだけ。

ベッドにはちゃんと洗濯しているのか疑いたくなるような毛羽だった茶色い毛布が敷かれている。枕もシーツも羽毛布団もない。枕があるはずの場所には、茶色い毛布を丸めてつくった即席の枕が置かれていた。部屋のつきあたりには1枚ガラスの窓があって、そこから外来病棟と中庭が見える。もちろん窓にカーテンはかかっていない。患者の脱走を防止するためなのか、窓は10センチしか開かない。

部屋の隅にはクモの巣、床にはホコリと髪の毛。掃除もせずに新規患者を入れたのかという驚きと嫌悪感で、またまたショックを受ける。スタッフは口癖のように「古い病院だから」と言うけれど、建物が古いことと清掃が行き届いていないことは別物。ふと、大学の看護基本技術の教師陣にこの病室を見せたらどんな反応をするだろうと思う。怒り狂うだろうな。

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