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「百万円と苦虫女」を観た

夏!これは夏の話!
夏に観るべき映画だと確信した。
ということで、まだ見ておらず、蒼井優がお好きという方は、是非今夏中に観ていただきたい。以下、ネタバレを含みます。

映画の中が夏という設定だということももちろんだが、夏の映画だと確信したもっと大きな理由として、「夏休みの一部始終が詰まっているから」である。

21歳短大卒フリーターの佐藤鈴子は、つまらないきっかけで前科を持ってしまい、家にも居づらく、「自分のことを知っている人が誰もいない街」で生活して、そこで100万円貯まったら、また別の土地へいく、という生活を送ることに決める。

初めは海、そして山、最後になんでもない街。まずここで、夏休み的要素その1「海や山にいく・知らない街に行く」ということが挙げられる。

鈴子はいくところいくところで、薄いような濃いような、そして心温まるような、逆につらくなるような人間関係を築く。そうして、100万円をためて、また別の街へ。関係性の紐はきっと、細く細くなってしまいには切れてしまうだろう。
ここでまた夏休み的要素その2「ひと夏だけの関係性がある」

そして、これが最も重要かと思うのだが、鈴子のやっているような生活は、普通の人には発想としてないのではないかと思う。
鈴子が就く仕事は、海の家の手伝い、モモの収穫、ホームセンターの店員と、実に幅広く、元の仕事のスキルをあまり生かせなさそうなものである。

まぁ普通の人であれば、一つ所に定住しようとするだろうから、まずそこからして違うのだけれど、これは夏休み的要素その3「夏休み以外ではできなさそうなことをする」だといえそうだ。

ここまで執拗に、夏休み的だ!と言ってきた。つまりだ。つまりこの映画、とってもとっても眩しいのだ。子供のころ、夏休みという単語を聞いた時の、あの目の裏の高揚が帰ってくるような眩しさだ。

ファンタジーではない、けれどファンタジー性のあふれる生活の仕方、流れのみに身を任せていきますといったような、自分の現実の人生では到底考えられそうにない生き方。
あまりにも眩しい。

うらやましいというわけではない。実際にこんな生活はできないし、もしできたとしても、私は定住し安定な職を選ぶことだろう。
この不安定で先行きの見えない生活を、鈴子は漠とした不安から、選んで手にしているように見える。

人と出会って別れること、自分という人間が知られること、知られることによって自分という人間が眼前にはっきり現れてしまうこと

漠とした不安とは、つまりこういったものだと読み取れるが、はっきり言ってこんな不安、私も持っている。というか普遍的なものだろうとすら思う。

だからこそ共感ができるために、映画として成立するという節もあるだろうが、そんなよくあるような理由で、不安定な生活を選ぶことができる、鈴子のぶっ飛び具合が眩しいのだ。

そして、本当に眩しいのはラストだ。すれ違ってしまった恋人同士が、めぐり逢いそうになりながら、結局ちいさな歯車がすべてかみ合わずに、誤解もとけないまま離れてしまう。

映画的なラストを考えて、最後まで二人が出会うシーンを期待してしまったが、結局そんなラストシーンは訪れず、二人は離れ離れ。

ふっきれた鈴子は、「新たな出会いのために人は別れるのだ」と明るい。けれど誤解を解く機会も掴めなかったナカシマくん(鈴子の恋人)は、きっとこの後しばらく落ち込むだろう。この理不尽さも、あまりにも現実的で、というより、物語離れしているように思えて、私にはとても眩しかった。

クーラーで冷え切ってしまった体を温めるべく、クーラーを切って、扇風機だけにして、だらりんと体を緩めながら観るのにふさわしい映画だと思う。かき氷が食べたくなるかもしれない。

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