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私がASDだと分かって、安心するまでのこと。

「私はASDでは無い。」…と、本当に苦しんでいる人たちに失礼だとか思っていた。
今までずっとそうやって、自分のことを責め続けてきたけど、パニックやら希死念慮で苦しんでいた日が続いていたある時、大学病院へ行くことになった。

大学病院でMRIを撮った。私は密かに認知症を心配していたけど、そんな事はなくて、アルツハイマー型認知症でもなければ、うつ病でも統合失調症でもないということであった。つまり、健康的な正常な脳ということだ。

私が苦しんでいるパニックは、所謂、不安障害とかではなく、どうやらASD由来のものだそうだ。

私は、クリニックに通い始めた高校2年生の時からずっと、統合失調症では無いけれど、それにとても似ているということで、服薬治療を受けてきた。

大学2年生の冬頃に、自らASDを疑い、検査を受けた。そして、ASDと診断された。

でも、診断当時から最近までずっと、ASDだと自分のことを受け止めることが出来なかった。

でも、今は違う。新しい先生は、私のパニックが起こる原因を、「あらゆるものに過敏で、ストレスを溜めやすい」と言い、紙に書いて分かりやすく丁寧に伝えてくれた。

前のクリニックの先生の時は、「私はASDではないと思います」と言ってみても、「あなたはASDだと思いますよ。」と根拠の説明も無しに言われるだけだったり、パニック三昧…で死にそうになっていた時も、「普通の人にもあるから心配しなくて大丈夫」だとか言われて、私はとにかく、絶望していた。(精神疾患じゃなければ一体何なんだこれは……と。)

あと私は、大学の人にも、とてもASDには見えないし、そんな事無いよとか言われたりした。私は酷く傷ついた。謎に内心馬鹿にしている人達もいた(陰口を聞いた。)

そんな私は今、ASDだという根拠を、きっちりお医者さんに説明してもらって、とても安心している。精神的な病気でもなくて、自閉症スペクトラムであるということに、とても安心している。

安心出来たのは、ASDは障害ではあるけども、脳の個性であるという考えがあったお陰かもしれない。この考え方に巡り会えて、私はとてもありがたいと思う。

そんなわけなので、私は発達の民の人たちと仲間になりたいし、一緒にあれこれ考えていきたい。
発達障害は、本当は、隠す事などないものだと私は思っているので、私はむしろオープンなスタンスのつもりだ。

私はこの特性とは一生のお付き合いなので、自分を大切にして、これから生きていきたいと思う。

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