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「反◯◯」「アフター◯◯」「◯◯2.0」というタイトルが多い理由

書店で「反◯◯」「アフター◯◯」「◯◯2.0」のようなタイトルの本をよく目にする理由を考えていたら、既存システムが抜本的に変更されることなく微修正の連続にとどまり続けていることと関係しているのではないかと思えてきた。

個人的に20世紀後半は人文学が自己矛盾と戦っている時代だと考えている。

例えば、「社会を貫く新しい物語が失われた状態」を「ポストモダン」と呼んだが、「物語がない状態」それ自体が物語として機能してしまった。

また、資本主義批判をする際には決まって、資本主義に代わる新しい”主義”を生み出すことができなかったため、資本主義批判が常に"反"資本主義としてしか記述できなかった。

これは「新しいイデオロギー」を描写するための「新しい言葉」がなかったことで、「古いイデオロギー」を描写する「古い言葉」を否定することでしか新しい状態を描写できなかったということだ。

一般の目から見るとそれは、新しいイデオロギーを何も生み出していないのに古い状況をただ否定することが新しいイデオロギーだと主張している戯言のように聞こえてしまうので社会の共感を生み出せなかったのではないかと思う。

冒頭に戻って、「反◯◯」「アフター◯◯」「◯◯ 2.0」というタイトルが示すのは◯◯という古い言葉を否定したりアップデートすることでしか新しい状況を説明できていない点で人文学が直面している問題と同じだと思う。

人文学が不必要だと言われて久しい日本であるが、新しい言葉を創造して社会変革のエンジンにすることはいまだに人文学の果たすべき役割であると考える。

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