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虹色のマフラー
寒さが和らいできた。
肌身離さず相棒のように使っているマフラーも、そろそろ巻くと首にじんわり汗をかく時期になってきた。
今年ももう、マフラーとはお別れかな。
私には忘れたくても忘れられないマフラーがある。
小学生の頃、マフラーを持っていなくて通学中に寒い思いをしている私に祖母が時間をかけてマフラーを編んでくれた。
祖母は手先が器用だが、裁縫や編み物は得意ではない。
そんな祖母が長い時間をかけて編んでくれたマフラー。
ただ、つけるのに躊躇してしまって結局通学中は一度も使うことができなかった。
だって、そのマフラーが虹のように七色のド派手なマフラーだったから、、、
淡い色ならまだしも、それはそれはビビットな原色で編まれていた。
それこそもう、この歳になれば割り切ってつけられるのかもしれないが、当時はあまりにもカラフルすぎるそのマフラーは私にはハードルが高かった。
「あったかいから着けな。」
と散々言われていたし、つけない私を見て祖母は機嫌を損ねたりもしたけれど、どうしても派手なのがイヤで通学時につけられなかった。
いつの間にか祖母もマフラーに関して何も言わなくなり、とうとう忘れ去られたかのようにその虹色のマフラーは寝室の隅っこへと追いやられてしまった。
私は、着けろと言われなくなった喜びと、せっかく編んでくれたという気まずさや申し訳なさとの板挟みになっていた。
でも、学校であまり目立ちたくない。
ただでさえ ませていて、それに加え同学年の友達とではなく下級生と遊ぶことの多かった小学校時代。いやでも目立つことが多かった。
それにもかかわらず、そんなマフラーをした日になんかどうなってしまうのか。当時の私は意味もなく想像してはゾッとしていた。
そしてとうとう、引っ越しの際にあのマフラーはゴミとして捨てられてしまった。
一人で遊ぶときだけ、片手で数えられるくらいしかつけてあげることができなかった。
どんな想いを込めて祖母はあのマフラーを編んでくれたのだろう。
来る日も来る日も、隙間時間を見つけては編んでくれていた。
それなのに私は、そのマフラーをつけてあげることが出来なかった。
謝罪の気持ちと後悔の気持ち。
今でもマフラーの季節になるたびに思い出す。
あの虹色のマフラーは灰となってしまったけれど、いま、私の心を温めてくれている。
いつもは恐ろしい不器用な祖母の思いやりや優しさ。
それに気がつくのにだいぶ時間がかかってしまった。
今の私にできること。
あの頃の幼い私に大人の私が虹色のマフラーを巻いてあげよう。
ちょっぴり子供には大きくて、ド派手なマフラーを。
家の中でもいいからつけてあげて、と言葉を添えて。
きっとその行為はマフラーよりも祖母を温めるはずだから。どうかお願いね。
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