とあるパン屋の言うことには
新鮮な小麦、産みたての卵、出来たてのバターに、決して潰えないかまどの炎。そこで生まれたパン達が、この街に暮らす人々の腹と心を満たしていくのを、キミは知っているだろうか。
フレビーチェクを2つ買ったのは、お城に住まう錬金術師。チーズとハムのものと、トマトと卵のもの。急いで食べて、すぐに出ていく。大きくて黒いマントは、いつも店の床のパン粉を拾っていく綺麗好き。手に持った籠には、きっと黄金を生み出すための物があるのだろうと覗きこめば、きっとガラクタだらけ。
でも、そんなモノからでも黄金を作り出せるのが、錬金術師なのさ。
ボハーネクを3つ買ったのは、高い塔を降りた天文学者。かぼちゃのタネと、ヒマワリのタネがまぶされたもの。手に持った弁当箱には、きっと鶏肉のパプリカシチューが入っていて、今晩もあの塔の上で夜空を見上げながら、シチューとパンで腹を満たすのだろう。出来るだけ塔から降りることなく、研究に打ち込むための工夫の一つだ。
きっと世界を変える発見をするという、強い確信が彼の中にあるからだろう。
コラーチを3つ買ったのは、どこから来たのか分からない風来坊。木苺のジャムを乗せたものと、クリームチーズを乗せたもの、芥子の実のペーストを乗せたもの。袋に入ったそれらを大事そうに抱えながら店から出ていくけれど、出てすぐにきっと1つに齧りつく。ここ数日、毎日のように顔を見るけど、そのうちまた会えなくなるのが分かる。
何故なら、そろそろ春一番が吹く季節だからだ。
ジトニー・フレープを買ったのは、立派な教会の神父様。ライ麦を使って今朝方焼き上げたばかりの大きなもの。手持ちの布にくるむと、何も言わずに静かに出ていく。彼はあのパンを1週間かけてゆっくりと食べる。朝食、昼食、夕食と、毎食前に祈りを捧げて何も言わずにひっそりと食べ続ける。
誰にも言えない秘密も気持ちも、すべてパンと一緒に飲み込むのだろう。
さぁ、パンが焼けた。朝日が昇る。この街の魔法をすべて包んで風が吹く。どうか今日も、みんなのお腹が幸せで満ち足りますように。
脚注
フレビーチェク:チェコ式のオープンサンド。輪切りにされたバゲットタイプのパンの上に、チーズや野菜、ハム、ツナ、卵、ローストビーフ、ハーブなど様々な組み合わせの具材を乗せたもの。
ボハ―ネク:ソフトボール大の丸いパン。表面にはカボチャやヒマワリなどのタネがまぶされていることが多い。メインの食事と一緒に食べる。
コラーチ:いわゆるペストリーのこと。ジャムやクリームチーズなどが上に乗っている。芥子の実の餡が使用されたものはチェコ特有のもの。小さなサイズのものをコラーチェックという。
ジトニー・フレープ:フレープとは円や楕円形のパンのことで、主にスープの付け合せとして食べられる。発酵を抑えるためにお酢が加えられているので、酸っぱい味。ジトニーというのはライ麦のことで、この場合はライ麦のフレープ。全粒粉も使用されており、非常にヘルシーだが腹持ちが良い。
『星見の塔で聞いた旅行話』⇒
『アダム・ジシュカの霞の本』⇒
に登場する、14世紀のどこか遠い時系列のチェコ・プラハを舞台にしたショートショートです。
各話の登場人物も出てきます。
チェコとかオーストリアとか、中欧で食べられるパンが大好きなんですよね。ちなみに、後半はお話に出てくるパンの紹介です。
2020年5月15日公開
<こちらはpixicより引っ越ししてきた作品です>