見出し画像

プラハ奇談2017

 最初に言わなければならないが、誓って私は生まれてこの方ドラッグに手を出したことは無い。
 何故、そんなことを言わなければならないかというと、今から始まる話が全て実際に私が体験した現象をベースに、読み物として楽しめるように脚色を加えたものだからだ。この現象の数々を見て、きっと「頭がおかしい」「薬物中毒者の妄想だ」と思う人がいるかもしれない。だが、この虚構と現実の境など最初から曖昧なこのカタチで表現すれば、まぁある程度はフィクションとして認識してくれるだろうと思ったのだ。こんなことが実際に目の前に見えたのだと言えば、どうせ信じてくれる人などいない。だから小説にした。信じられなければ「フィクションだ」と思えばいいだけの事だからだ。
 奇妙な幻覚をこうして頻繁に見るのは決して外的要因ではない。頭を激しく怪我したことも無いし、当然微弱なものであれ薬物もやったことはない。至って普通に育てられ、成長した。それにも関わらず、私は幼い頃から呼吸する人形や、低い声でUFOを呼ぶ金魚、墓場に集まる白衣の集団や寝室に横たわるミイラの手など見てきた。

 ある程度大人になって自我が確立されて以降、初めて見た幻覚で覚えているのは大学3年生の頃のことだ。池袋駅のホーム上で異様に太った中年男性を見た。突如、男の腹が裂けて、中から羊のような爬虫類のような気味の悪い生物の胎児がズルリと出てきたのだ。見た目だけならUMAのモントークモンスターが一番似ていた。突然のことと、あまりの不快感に私はホーム上に一瞬うずくまった。顔をあげて先ほどの男性を見ると、男性の腹は裂けておらず、何事も無かったかのようにスタスタと歩いて行った。それ以降、時々そういった脈絡のない幻覚を見る頻度が急速に増えていった。コンビニののぼり旗の陰から白塗りの麿赤児がこちらを覗いていたり、部屋の中に成人男性ほどの大きさの巨大な蝶が飛んでいたり、私の歩く足元でパステルカラーのネオンのような光が幾何学模様を描きながら飛んだり跳ねたりするなど様々だ。
 ただいずれも連続性は無く、幻覚を見るタイミングもまちまちだった。幻覚を見る前兆も条件も心当たりがない。一年を通して言うならば見ない日の方が圧倒的に多いし、長時間見ることはなく、全て一分にも満たない一瞬の出来事なので生活に支障はない。だから特に何か対処しようという気持ちも起きなかった。
 ところが、初めてチェコのプラハに行った2016年。その地では今までとは違う幻覚が洪水のように大量に目の前に現れたのだ。しかも、どこか物語的な連続性がある上に声や音まで聞こえる。でも話としての整合性はどれも無い。不思議の国のアリスのような理不尽さと不条理。帰国してから、目にした幻覚を写真と共に『プラハ奇談』としてまとめた。

 信用できるある人に話すとこう言った「結論から言うならば、それは記憶の消去エラーだろう」と。もし輪廻転生という概念が実在するか、あるいは人間のDNAにこれまで生きてきた人々のすべての記憶が連綿と刻まれているとしたら。私が“私”として生を受けるよりも前の段階で経験したすべての記憶は、情報量の多さから普段は鍵がかけられている状態か、あるいは“私”として生まれる前に“今生においては不要なもの”と仕分けられて消去されているという仮説がある。私は、その過去の膨大な記憶の鍵が人よりも緩んでいるか、あるいは消去しきれずに時々表出してしまうのだろうとその人は語った。
 もし、それが本当ならばやはり人間は“何か”によって作られた生き物なのだろうと思う。そんな良からぬ運命が我々にあるとして抵抗する術も理由も無い。もっとも、それが必ずしも良からぬ運命とは思えないという漠然とした確証もあるのだけれど……

 今回のプラハ旅行では前半でオーストリアのウィーンにも行っているので、この物語ではウィーンでのお話も書かれている。だから正式に名前を付けるなら『東欧奇談』になるだろうが、文脈的には前回のプラハ奇談の続編に当たるのでそのままのタイトルにしてしまっている。今回は幻覚というよりも、その場所が引き起こした短い物語と教訓じみた天啓のような会話が中心になっている。
 いずれにせよ、意味は無いが何かをもたらす物語として、楽しんでいただけたら幸いである。


#1
もし、一日だけ王や王妃になるというそんな魔法があるとしよう。
キミは見たこともないような煌びやかな衣装を着て、
光り輝く食器の上に載せられた数多の美食を口にし、
自分に付従う従者たちを使役して民に奉仕するのだ。
まさに魔法だ。
だが、この一日が十日になり、ひと月になり、一年になり、永遠になると、
どうなるだろうか?
それこそ魔法が呪いに変わる瞬間だ。
ガラスの靴がいつの間にか足かせに変わる……キミにはきっと覚えがあるはずだ。


#2
「図書館ではお静かに」
管理者がメガネを指であげながら不機嫌そうな顔でそう言う。
分かっているとも。しかしやけに人のいない図書館だ。こんなに沢山本があるのに。
すると管理者が近づき、ある書棚を指差す。
書棚はゆっくりと扉のように開く。隠し扉だ。
扉の奥は暗いが、地下に降りる階段がわずかに見える。
管理者は先ほどまでの不機嫌な顔に僅かな笑みを浮かべて言う。
「図書館ではお静かに」


#3
何かを学ぶことはたった一人でも出来ることだが、
何かを手に入れるには誰かの手を借りなければならない。
この地下へ続く階段の先はかつての墓場だという。
多大なる病魔に襲われたこの地が、行き場のない人々のために用意した
ささやかな避難所だ。
この中に千切れたフィルムの破片があると、
あのフィルム保管の管理人の老人が言っていた。
行かねば。きっと真っ白な手が助けてくれる。


#4
ある時、一つの雲が仲間達とはぐれて地上まで降りてきてしまった。
どんなに軽いその体も、幅が大きい所為で、人々から邪魔そうに扱われた。
「空にはまだ沢山雲があるじゃない。合流すればいいのに」
「キミ達の目には同じに見えるかもしれないが、あれは僕の仲間じゃない」
「でも同じ雲なら助けてくれるでしょう? 」
「勝手なことを言うな。キミが見て分からないことで、僕自身のことに口を出すな」
結局、雲は人々が住むような家に姿を寄せて隠れて暮らしている。
どうりでこの地の天候が変わりやすいわけだ。
さっきまで晴れていたのに雹が降り始めた。


#5
大きな駅前の華麗な広場。
天使が男から金を貰っていた。
「こんな仕事に就かなきゃ良かったわ」
ため息交じりに天使が言う。
「ただ羽が生えているだけで、聖人君主と呼ばれるの。私の仕事を知ってる?」
「いえ、でも……特に聞きたくないです」
すると天使が性悪そうに微笑んで言った。
「それが正解よ。知ることばかりが叡智に辿り着く道じゃないのよ」


#6
街角に女が立っている場所は治安が悪いと誰かが言った。
ただ街角に立ち尽くしている女は体を売っているからだというのだ。
「不名誉極まりない話よ」
壁の女が言った。
「私は好きでここに生まれたの。この町を行きかう人を見るだけの人生が素敵なの」
「不自由ではありませんか? 」
「とんでもない。誰かのモノにならない人生なんて自由そのものよ。
わざわざどこかに行かなくても、ここを通る誰もかれもが
私の知らない場所やモノや声を届けてくれるの。あなたも届けてくれたじゃない」
そう言って壁の女は得意そうに、異国の葉巻を吸い込むのであった。


#7
老人は眉をしかめて道端を見つめている。
「何に怒っているのですか? 」
「怒っちゃいない、不満なだけだ」
「何が不満なのですか?」
「皆が自由な事。俺はここから動けない」
「先程の壁の彼女は壁から動けなくても自由だと言っていました」
「そりゃ彼女は美しいからだ!俺を見ろ!俺を見てどう思う?」
少し悩んで、私はこう答えた。
「とりあえず、眉をしかめるのをやめませんか?」


#8
その釘は二人の天使によって守られる豪華な装飾ケースに入れられていた。
全人類の罪を背負って死んだ男に打ち付けられた釘だという。
死後、崇め奉られた男に関する品々には霊験あらたかな力が宿るとされ、
この釘も例外ではなかったということだ。
ロンバルディアの鉄王冠。
その時代の大王が民衆の罪を背負うためにこの釘を手に入れたのだとしたら、果たしてあと何度王は生まれなければならないのだろう?
王などいらぬ。王などいらぬ。
釘を支える天使はそんな様子を微塵も見せずに、微笑んだまま佇んでいる。


Epilogue
「アナタの故障原因はメモリーの消去ミスです」
「遺伝子が過去に経験した物語が表出して眼前に現れるのです」
「しかし、それが見えるからと言って何があなたにとっての不都合となるでしょうか」
「哀れな物書き。奇妙であればあるほどあなたの掌に筆が食い込んで離れなくなる」
「他に道なんていくらでもあるのに」
「他に幸せなんていくらでもあるのに」
「もう誰からも奇異の目で見られることなく生きられるのに」
「その他大勢の一人として安息の日々を送れるのに」
「哀れな物書き。自分が壊れているとも知らないでまたあの国に行く切符を探してる」


2017年のオーストリアとプラハでの旅行で撮影した写真から思いついたいくつかの小さなお話。
正式名称は「東欧奇談」くらいになればいいのだが、「プラハ奇談2016」の続編に当たるのでそのままにしている。

2019年6月29日公開
<こちらはpixivより引っ越ししてきた作品です>

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?