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太陽の空より vol.7 河村聡人

太陽の空より vol.7 太陽活動に振り回されての寄り道も今回までになります。前回は低緯度オーロラの記録は史料に残っており、その例として1770年のオーロラの絵を紹介しました。今回はより具体的な記述を精査してい きたいと思います。

今回は2016年に書いた論文の紹介になります。
Aurora candidates from the chronicle of Qíng dynasty in several degrees of relevance(清朝の年代記に登場するオーロラ候補の妥当性)


単語としてのオーロラはヨーロッパを起源とします。またその和訳である極光も、現象についての知識の流⼊と共に⽣まれたものなのでしょう。
よってそれ以前の、旧来の価値観・思想体系に基づく単語は別にあります。

旧来の価値観・思想体系は、往々にして中国からの伝来のものを基礎とします。その中に天は神の領域であり、地上での出来事を反映するという概念があります。三国志の「死せる孔明⽣ける仲達を⾛らす」の場⾯にて孔明が死んだと敵軍の将が判断したのも星が落ちたからですが、この概念によるとこ ろです。また天変地異や「お天道様が⾒てる」という⾔葉にも、この概念の名残が感じられます。

中国の歴史書を繰ると、「天変」という⾔葉が時々出てきます(「地異」という⾔葉は滅多に出てきません)。さらに天変よりもより具体的に天変の内容を⽰す語句の⽅が出てきます。それが「」や「」、「」などです。これに⾊がついたもの、例えば「⾚氣」といった具合で、オーロラなどの天変が記されています。ただし問題なのは⾚氣=オーロラとはならず、オーロラ以外のものを⾚氣と記したり、オーロラを⽩雲などと記したりしている点です。

具体的に清史稿に残っている記録を⾒ていきましょう。清史稿は中国王朝の清(⽇清戦争の清)についての歴史書で、その成⽴には紆余曲折あります。というかまだ現在進⾏形の問題なのですが、詳しくは触れません。
各⾃で調べてください。
今回は清史稿に残っている記録から3つ取り上げます。

⼀.前回紹介した1770年のオーロラについての中国の⻑⼭(現 ⼭東省内)での観測記録です。前回(太陽の空よりvol.6)に⾒た絵のように、⾚い領域が広がり、その中に⽩い筋が⼊っている様⼦が分かります。

⼆.⽩氣となっていますが、こちらは彗星です。1668年のもので天⽂学者のカッシーニも観測していたらしいです(Lynn(1882)によると)。

三.太陽や⽉の光が空気中の氷の結晶に反射して起きる⼤気光学現象と思われるものもありました。 これは⽉齢と観測時間と⽅⾓からオーロラよりも⽉による⼤気光学現象の蓋然性が⾼いと分かった例です。
氣などと書いてあってもオーロラ以外のものも多分に含まれているので注意しましょうと⽰したのが、冒頭で紹介した僕の論⽂の主旨のひとつになります。

さて、これで太陽と低緯度オーロラに振り回された寄り道は終わりにします。この研究を始めたきっかけとなった体験など話したいことはまだあるのですが、それはまたの機会に。
次回からは本筋に戻って、タイトル「太陽の空」とはどこなのかという考察を再開したいと思います。

河村聡⼈(かわむら あきと)
アラバマ州⽴⼤学ハンツビル校卒(学⼠・修⼠)、京都⼤学⼤学院退学。太陽・太陽圏物理学が本来の専⾨。最近は地球観測も。天⽂教育普及研究会2023年度若⼿奨励賞受賞。交流戦で貯⾦全部消えた阪神、今年は勝ちきれない印象を持ちつつも、忙しくて試合全然観れてない。

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