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音楽と願望

「あのさ、この時代って本当にいいよな。」
 男はスマートフォンにイヤホン繋ぎ、それを耳に当てている。
「ん?急にどうしたんだよ。」
 同じ部屋にいる本を読んでいる男は何言ってるんだと言わんばかりの顔でイヤホンをつけた男を見て聞き返した。
「いやさ、こうやって好きな音楽がいつでも聴けるって素晴らしいなって思ったんだよ。ひと昔前ならありえないわけだろ?クラシック音楽が主流だった時代の話だけどさ。」
「まあ、確かにな。昔に比べたら本当便利な時代になってるよな。100年前はレコードすらなかったんだからな、基本的にその時代の音楽は楽譜で伝えられてきてるんだもんな。そう考えると凄いな。」
 本を読んでた男は本を閉じてイヤホンをつけていた男との会話に興味を向けた。
「そう考えると、昔のベートーヴェンとかバッハとかっているだろ?いわゆる教科書に載ってるような作曲家たち。あの人たちってすげえよな、あの人たちの音源ってないんだよ、全部譜面の中に命が吹き込まれてるんだよ。それが今の今まで曲として伝えられてるんだもんな。素敵だよな。」
 イヤホンをつけてた男は熱を帯びて話している。
「確かにな。でもその人たち本人の音源がないってのも少し残念だよ。もしかしたらその譜面は伝えられていく過程で少し変わってきてるって可能性もあるかもしれないしな。やっぱ音源として聴ける今が本当に貴重でどれだけ素晴らしいことかってのをお前に言われて改めて気がついたよ。」
 本を読んでた男は感心したように言った。
「こんな端末で月に数百円でほぼ無限に音楽が聴けるって凄いことだなって思っただけだよ。そんなたいそうな事じゃないよ。」
 イヤホンをつけてた男は照れ臭そうに言った。
 本を読んでいた男は立ち上がり部屋にあるレコードプレイヤーの前に行き、とあるレコードを流し始めた。
「お、アートブレイキーじゃん。」
「ああ、お前が音楽の話するから聴きたくなった。」
 本を読んでた男は座った。
「なるほどな、やっぱモーニンはいいよな。」
 イヤホンをつけてた男はエアドラムで曲のドラム部分を再現して楽しんでる。
「アートブレイキーといえば俺はこれかな。」
「俺もだ。」
 まだイヤホンをつけてた男はエアドラムを叩いている。
「時々さ、生のライブを見て見たかったって思うんだよな。俺らが生まれるより随分昔の音楽って現体験ができないわけで、結局の所そのいわゆる端末からの情報だったり、レコードやCDでしか聴けないわけだろ。なんか悔しいよな。」
 本を読んでだ男も曲のピアノのフレーズを真似するように床を指で叩いている。
「まあ、言われてみれば悔しいけどよ、逆にこれからの音楽を聴けるのも体験できるのも今この時代を生きてる俺らの特権だぜ。」
「あはは、確かにな。」
 本を読んでた男は笑って頷いた。
「やっぱなんだかんだで生で音楽聴くのが一番だよな。」
 イヤホンをつけてた男がまだ叩いていたエアドラムをしながら言った。
「それも間違いない。」
 本を読んでた男はピアノのフレーズを叩きながらそう言って大きく頷いた。
 しばらくしてふたりの男は互いにさっきまでやっていたそれぞれのことをやり始め、沈黙が続いた。しばらくの沈黙の後、同時に同じ言葉を吐いた。
「ライブ行きてえな。」

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