ペッパー

理系?大学生/日々考えたことをつらつらとマイペースに書いていきたいです

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最近の記事

価値基準

 この頃、誰かが言うことに納得する一方で、そんなことはどうでもいいと思ってしまうことが多い。 「○○していくことは、就職に役に立ちますよ」 「これからは✕✕が重要だ」  どうでもいい。心からどうでもいいと思ってしまう。それを善意で言ってくれた人もいる。それでもどうでもいいと思ってしまう。就職が何だというんだ、何かをしてひとかどの人間だと認められることが何だというんだ。これが何かをしたくない自己正当化かもしれないということもわかっている。  私はこれまでなんとなく持っていた価

    • 自分が利己的であることを自覚すること

       利己的であることや利他的であることについて考えていたが、人間は(というより自分は?)結局は利己的でしかありえないのではないかと思った。それは、人間は意識せずとも、それぞれ善悪の価値基準を持っているし(それが周りに与えられたものでも、自分で創造したものにしても)、そこによりかかってでしか何か発言したり行動したりすることはできないのではないだろうか。  もし自分のことを何にもよりかからずに客観的に発言したり行動したりすることのできる人がいるとしたら、その人は自分というものがな

      • 堕落しきれない弱さとエゴイズム

         なんとなく読み始めた本でも、今の自分に必要なことが書かれていることが多いような気がする。無理やり自分に結び付けているだけかもしれないが。  今回の場合は、坂口安吾の「堕落論」だ。昔kindleに入れていて読んでいなかったのを読み始めた。彼は、生きている人間は堕ちていくが、永遠に堕ちぬくことはできないだろうと言う。人間は堕ちぬくほど強くないと言う。それでも「人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ」と彼は言う。  では、この堕ちるとは、堕落するとはどういうことだろうか

        • 死にいたる病としての絶望

           最近、古本屋でなんとなく買ったキルケゴールの「死にいたる病」を読んだ。哲学書を読んだのは初めてで中々読み進められなかったが、ようやく読み終わったので、頭の中を整理するためにも記事を書こうと思う。  この本の中では、自己とは何か、絶望とは何か、そして絶望は罪であるということについて、キリスト教に理解の深い哲学者であるキルケゴールが考えを述べている。  「自分(自己)らしく生きる」という言葉をよく聞くこの頃であるが、そもそも自己とは何なのか。  人間は精神である。しかし、精

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          うつ病なりの頑張り方

          僕は4月の中頃から、気分が落ち込んできたり、夜に眠れなくなってきたり、様々なことに対する興味が薄れていき、少しずつ動けなくなってきていました。6月はじめに、もうこれは自分ではどうしようもないと思って、心療内科を受診し、うつ病と診断されました。 5月の終わりから6月はじめにかけてが1番苦しかった時期で、部屋は荒れていき、大学の課題もあまり出せなくなっていました。 そうなった理由は、おそらく大学の課題をまとめて一気にしたことだと思います。僕はもともと課題などはまとめてすることが

          うつ病なりの頑張り方

          そんな絆はいらない

          久しぶりのnoteですが、今日は愚痴っぽいことを書くので、苦手な方はご注意をば。 私は絆という言葉が苦手だ。子供の頃はそう感じたことはなかったのだが、以前働いていたアルバイト先で苦手になってしまった。 そのアルバイト先はブラックバイトと言えるほどかは分からないが、ともかく自分にとっては気持ちよく働ける職場環境ではなかった。深夜の割増賃金はないし、罵声が飛び交うことも珍しくなかった。特に、あまり仕事が得意ではない年配のアルバイトの方に対する一部の人の暴言がひどく、聞いている

          そんな絆はいらない

          その感情に名前をつけられるのか?

          喜怒哀楽という言葉があるように、感情には名前がついている。喜怒哀楽からさらに細分化して、喜び、嬉しさ、怒り、苛立ち、悲しみ、嘆き、楽しさ、幸せなど。喜怒哀楽に当てはまらない感情もあって、本当にたくさんの感情を表す言葉がある。 しかし、こうした言葉に今自分が抱いている的確な感情の名前はあるのだろうか? この考えを持ち始めたのは、僕がうつ病になってからだ。いや、もしかしたら、前からなんとなく感じていたけれど、はっきりと考え始めたのは、うつ病になり、大学のカウンセラーの方と話をす

          その感情に名前をつけられるのか?

          頭では分かっているつもりでも

          昨日初めてnoteの記事を書き終わったあと、ホームに自分の記事が出ているのを見てすごくテンションがあがりました笑 書いてみると昨日書いた以外のnoteの良さが分かって始めて良かったと思いました。とはいってもまだ2つ目の記事ですけどね。 さて今日は、頭では分かっているつもりでも、実際自分の身の回りで何か起きないと、何か他人事のように思っているんじゃないかということについて書いていこうと思います。これだけじゃなんぞそれ?って思われそうなので、僕が最近実際に体験したことを例に挙げ

          頭では分かっているつもりでも

          noteはじめてみようか

          はじめまして。自己紹介って毎回何話そうかなって考えてしまう大学生のペッパーです。読書が好きだけれど、うつ病になってしまって最近はあんまりできていません泣 noteは今まで見るために利用していたのですが、うつも少しマシになってきて何かはじめてみようかなと思い、さっきプロフィール欄を更新して今このnoteを書いています。 noteってすごく良いツールですよね。色々なことのアイデアを知れるし、自分で書いたり人のnoteを見たりして自分が気づいていなかったことに気づいたり、考えを

          noteはじめてみようか